英サウサンプトン大学(University of Southampton)などの研究チームが行った今回の研究の目的は、心臓や脳の活動が停止する臨床死から回復した人々が語る「臨死体験」などの現象を調査することだ。
研究では、心停止患者2060人のうち、蘇生した330人の中の101人に対して、後に2段階に及ぶ詳細な聞き取り調査を行った。データは英国、オーストリア、米国にある15か所の病院の心停止患者2000人以上に関するものが用いられた。
その結果、39%の患者が、心臓が再始動する前に意識があることを自覚していたが、その間に起きた出来事については明確な記憶がないと答えた。
サウサンプトン大で今回の研究を率いたサム・パーニア(Sam Parnia)氏は「脳の損傷や鎮静剤が記憶の想起に及ぼす影響が原因で、当初は精神活動があったが、回復後にその記憶を失った人はさらに多くいることを、この結果は示唆している」と指摘する。
恐怖、暴力などの感覚やデジャブ(既視感)を感じたり、親族、動物、植物などの映像が浮かんできたりしたと答えた患者は全体の46%に上った。
一方、体から分離する感覚といった一般的によく知られている臨死体験を報告した患者は9%にとどまった。
また2%の患者は、肉体的に「死んでいた」間に「見た」り「聞いた」りした出来事を明確に思い出せると答えた。
このように答えた患者のうちの1人は、研究者らが患者の臨死体験の継続時間を測るために3分間隔で鳴らしたブザー音を2回聞いていると話した。
「これは重要な意味を持つ。なぜなら、死に関連する体験についてはこれまで、心臓が停止する前か再始動に成功した後に発生する幻覚や錯覚であり、心臓が鼓動していない間に起きた『現実』の出来事に対応した体験ではないとみなされてきたからだ」とパーニア氏は説明する。同氏は現在、米ニューヨーク州立大学(The State University of New York)に所属している。
「この患者のケースでは、心拍がなかった3分間に、意識と自覚があったと思われる」
「脳の機能は通常、心臓停止後20~30秒以内に停止し、心臓が再始動するまで再開しないとされている。このケースはそれに矛盾している。さらにこのケースでは、視覚的認識に関する詳細な記憶が、その場で確認された出来事と合致している」
パーニア氏は、意識が臨床死の後も続くかどうかを調べるには、さらに研究を重ねる必要があると話している。(c)AFP
2014年10月09日 12:02 発信地:パリ/フランス 科学・技術
仏西部アンジェ(Angers)にある病院での心臓外科出術で、患者の容体を伝えるモニター(2013年10月24日撮影、資料写真)。(c)AFP/JEAN-SEBASTIEN EVRARD
http://www.afpbb.com/articles/-/3028501
蘇生不可能な脳みそにそれはない。
とはいえ、自分を蘇生してくれている医者の行動を天井付近から見下ろして
蘇生後、その様子を正確に語るとかいう事例もあって、何が何だかわからない。
蘇生術を施しても蘇生しなければやはり意識はない。
蘇生可能な脳みそが蘇生術によって蘇生してはじめて意識があったことになる。
駄文失礼。
シュレディンガーの猫みたいなものか
かたちがあるうちに燃やされるって
脳が生きてるか死んでるか、ということだろ。
心臓停止直後でもまだ脳は生きてるから、音を聴いた記憶が残ってるんだろう。
でもそれは蘇生して意識を取り戻してから、その記憶を認識できるんだろうな。
心臓が止まっていても、脳が生きていれば記憶はあることがわかった(ただし蘇生できた人に限る)。
さらにごく少数の人は目を閉じているはずなのに視覚の記憶もあるという摩訶不思議な報告もあった。
特に手術前に麻酔を打たれたら完全に意識をなくして、手術中に死んだらそのまんまなんだから恐ろしい。
亡くなったことに気づかない人は、生きてるつもりだから、自分の葬式にも出席するんだと。
だからその場合は、喪主席の隣に一席設けておくんだって。
そうするとそこにちゃんと座ってる。んで、自分の葬式を眺めてもらって、
ほとんどの人はそこで自分が亡くなったんだってことを理解して、成仏してくれる、
と知人の霊感あるお坊さんが話していたよ。
火葬はやめましょう。 火葬場で、何時間もの、すごい苦しみの中で死んでいっている可能性がある。
土葬もそれはそれでキツいらしいぞ。
医師の死亡診断から最低24時間は火葬されない。
24時間以上経って体内に生きている細胞が残っている可能性は
あるが、神経細胞が組織的な活動をしている見込みは
限りなくゼロに近い
いえ
アンパンマンは体の方に意識があるよ
空からアンパンマンの体に降りてきた
どういう訳だか開祖のブッダ自身は死後の世界も霊魂の存在に関しても語っていなかったんだよな
それは簡単な話だよ。
お釈迦さんのように悟った人は個人としての意識がなくなるので、
幽体そのものを持たない為に、ニルバーナとして「空」の中に消え
てしまうからだよ。
悟っていない凡夫は、自分と言う個人が存在していると思っている
ので、その自分意識が輪廻転生を繰り返すのだよ。これは、「唯識学」
でも説明されている正統仏教学の説明なのだよ。
おやじ、涅槃で待つと言った人は
涅槃というのは悟りを開いた人が行くところ(空)だから、
沖雅也は行けない。別の霊界でおやじを待つ以外にない。
大体、心中しても行き先は別々になるのが普通だと言われて
いる。人は自分自身が作った夢の世界に生き続けるもので、
そのような夢から完全に覚めた人がお釈迦さんだ。ブッダ
(Buddha) とはサンスクリットで「目覚めた者」の意味。
が肉体から抜け出ることがあるらしい。それで、天井の辺りからベッドに横たわっている
自分を眺めることが出来るらしい。透明人間状態なので、その気になれば天井や壁を
通り抜けて別の部屋や屋根の上に行くことも可能らしい。
人間は想像力のある生き物だからね 母親から生まれた時のことを母親に言ったこと
あるけどまったく違うと言われた 個人的にはかなりリアルな出来事なんだが違うんだよね
別に身体から離れた意識体が、とかじゃなく
昔から仏教では「四十九日」と言われているが、死後一ヶ月ぐらいは故人も
家族の周りにいるようだ。その後、先祖のお迎えが来て霊界に連れて行かれる
と言われている。だから霊感の強い人でも、死後おおよそ五十日以降は故人と
会話をすることができなくなるらしい。
させるまで脳への血流も30分間止められながらも生還したワイ、高みの見物。
分からない」 と考えている人が多い。しかし、それは100パーセント間違って
います。 死ぬと同時に透明人間のような霊体が肉体から抜け出るのです。
昔、作家の三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地(現在の防衛省)で割腹自殺
をしましたが、その日の夜、三島由紀夫の友人であった禅僧の中川宋淵老師
が住職をしていた龍沢寺(静岡県三島市)に三島由紀夫の霊体が現れたのを
中川宋淵老師が見たそうです。「禅では霊のことはタブーだから大っぴらには
言えないが・・・」 と言われたそうです。死んだら灰になって終わり、というのは
間違いなのです。
心臓が正常に動いていても、飲みすぎて頻繁に記憶が飛んでいるオレには関係ないかもしれないが。
電池切れまでの猶予が数十秒が数分に伸びだだけ
機械的に、一さじの紅茶、私がマドレーヌの一きれをやわらかく溶かしておいた紅茶を、唇にもっていった。
しかし、お菓子のかけらのまじった一口の紅茶が、口蓋にふれた瞬間に、私は身ぶるいした、
私のなかに起こっている異常なことに気がついて。すばらしい快感が私を襲ったのであった、
孤立した、原因のわからない快感である。(マルセル・プルースト 『失われた時を求めて』)
ノーベル生理学医学賞受賞の利根川進教授が、
脳科学に転じて、睡眠中の被験者の喉に冷たい金属を触れたところ、
目覚めた被験者が、ギロチンで処刑される夢を見たと証言したという。
処刑されたとなれば、そこに至る過程までも夢見てるに違いない。
実に、呼び起こされた記憶は、一瞬の行為に対して過長なものということになる。
かくいう自分も、ベッドから滑り落ちて目覚めた途端、
長い夢の結末が、理由付きの転落死だった。
ある一瞬の刺激が、それに相当するような類似の体験と、
その体験を合理的に誘う過程を構築した上で、瞬間的に脳のシナプスが複雑に関連付けられて、
記憶を一から創出している。実は瞬間的に創出されたものなのに、
長い経路を辿る物語を経験したかのように錯覚している、
人の夢や記憶というのはそのようにして作られたり、作られることもあるのではないかと考えている。
さて、臨死体験だが、心停止後も脳の神経が全て死滅しているわけではないから、
聴覚で得た外部刺激は脳内に蓄積され続けている。
運よく蘇生した時、その蓄積された情報が、瞬間的に脳の情報処理機構によって
物語化されるだろうと推測される。
意識があったわけでも、体験したわけでもないのに、
心停止中の出来事を、自らの体験記憶として回想できるのはそのためだろう。
おもしろーい。自分も漠然と同じことを感じていたが言語化してくれてありがとう。
自分は子供の頃、目を覚ましながら夢を見ることが出来たな。考え事や想像をするのではない。
まるで映画を見せられるように強制的に映像を見せられるようになる。さっきまで見ていた、
アニメの続きが再生されることもあった。面白いから寝る前はよくそれで遊んでいたが、
自分がおかしいと思っていたので誰にも言う事はなかった。大人になってからわかぎえふという人が、
エッセイの中で同じことを言っていたのを読んで、結構良くある体験なんだろうと思った。
>ある一瞬の刺激が、それに相当するような類似の体験と、
>その体験を合理的に誘う過程を構築した上で、瞬間的に脳のシナプスが複雑に関連付けられて、
>記憶を一から創出している。実は瞬間的に創出されたものなのに、
>長い経路を辿る物語を経験したかのように錯覚している、
↑ それは、これまでにも多くの人々の経験として語られて来たことだと思うが、
その考えをさらに一歩進めると、実は我々の人生そのものが一瞬の出来事である
かも知れないことを示唆しているとも言える。宗教的な神秘体験では、しばしば
時間と空間を超越した世界を見ることが知られているが、我々の時間意識は脳が
作り上げた錯覚かも知れないのである。イエス・キリストは「神の国」を説いたが、
誰かに 「あなたの説く神の世界の本質は?」 と問われた時に、「それは、時間が
ないということだ」 と答えたことが中東世界では伝えられているのである。
お釈迦さんの悟りの世界も時間のない世界である。
てゆーか、死後に意識だけがあるって、PCをシャットダウンしたのにOSだけ起動してるっていうくらいにおかしな話だよね、それって?
従来は心停止脳波停止=意識消滅と考えられていたがそうではない
たったそれだけの記事だろ
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コメント一覧
※ 1.
あ
2014年10月10日 22:54 ID:D4D71YTv0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
感覚がなければ燃やされてもすんなり受け入れそう
※ 2.
私は名無しさん
2014年10月10日 23:06 ID:lQfZ5ICG0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
唯識が仏教の正当とか馬鹿げたことを言うな
あんなもん大乗の頭でっかちがでっち上げた妄想だ
釈迦の思想は三法印で全て語られている
釈迦自身も全て語ったと言ってるわけで
彼の言葉に無いものは全て後世の創作
※ 3.
私は名無しさん
2014年10月10日 23:22 ID:QII78MCH0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
別に突飛な話ではなく単に度合いの話だ
脳への酸素供給が心停止で止まった後、脳がどのくらいの時間を無呼吸下で耐えて機能できるかということに過ぎないと思う
脳は御臨終コールとか自分の葬式話、財産の分与の話を聞きながら死んでゆく
※ 4.
私は名無しさん
2014年10月10日 23:44 ID:IGSkhwGl0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
単純に記憶の改ざんだろう。
夢だってそれなりに長い話だったようでも
実際には一瞬で脳内で生成されたものだ。
二度寝した数分間でかなり長い夢を見ることもあるからね。
※ 5.
私は名無しさん
2014年10月11日 01:26 ID:naRGNGwo0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
完全に死んだ人を対象にどのぐらい意識が残ってたか調査すればいいじゃない。
※ 6.
私は名無しさん
2014年10月11日 04:36 ID:OsB16P3e0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
意識の慣性の法則、記憶媒体がない状態での意識活動、あったら楽しいし怖いね!
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