維新ヒーローの陰に旧幕臣がいた!
今年の大河ドラマは『花燃ゆ』。吉田松陰の妹・文を主人公に、松蔭はもちろん、久坂玄瑞や高杉晋作など長州の志士たちが、その生き様をたっぷりと魅せてくれるであろう。大河ドラマで幕末物は当たらないなどというジンクスはいつのことやら、『篤姫』『龍馬伝』『八重の桜』、そして今回の『花燃ゆ』と続くのも、近代日本の立ち上がりを振り返り、このところの閉塞感を打破するヒントを得たいという空気があるのだろうか。
ちなみに長州が舞台となるのは1977年の『花神』以来、38年ぶりだそうである。明治維新以来、現総理も含めてもっとも多くの総理大臣を輩出した地である。地元の皆さんはさぞかし期待しているに違いない。
■覆される幕末のイメージ
さて、となればまた維新と「志士」の本はたくさん出版されることだろうと思うのだが、今回ご紹介する本は維新と「幕臣」の本である。
旧態依然とした幕府と、保身に汲々(きゅうきゅう)とするのみで時代の流れに取り残された幕臣。それに対して進取の気風に富み時代を読み、日本を近代化すべく戦った薩長をはじめとする西南雄藩と志士たち。しかしこうしたイメージは修正されつつある。
たとえば戊辰戦争における鳥羽・伏見の戦いのイメージはどうだろう。3分の1の兵力しか持たなかった倒幕軍に敗れたことから「幕府軍は数ばかりで、装備は古くさい鎧兜」だったのかと思いきや。実際には洋式装備の歩兵隊が八個連隊・9800人もおり、フランス軍事顧問団の指導を受けた精鋭部隊も擁していたという。
海軍ともなれば幕府軍が圧倒的で、主力艦の「開陽丸」も、当時、世界最大級の軍艦だったし装備も極めて優秀だった。薩長含め、対抗できる戦力は国内には存在しなかったのである。
幕府も時代の変化には充分に危機感をもち、軍制や税制、そのほかさまざまな改革を少しずつ積み重ねてはいた。
そもそも開国・近代化を目指したのは幕府の方が先だったではないか。だが残念ながら幕府はガバナンスに失敗し、蓄えた優秀かつ大切なリソースも生かしきれず、明治維新となる。
引用元: ・幕府は近代化に精力的だった、維新成功は幕府のおかげ、明治政府は旧幕臣が支えた… 覆る幕末イメージ
では幕府がそれまでに積み重ねたものはすべて無駄になったのかというと、実はそうではない、というのが本書『明治維新と幕臣』のテーマである。
明治維新は非常に大きな政治変動ゆえに、その変化ばかりに目を奪われがちだが、「いかにして統治したか」という行政の面からみると、江戸から明治への連続性が見えてくるというのである。
“明治維新に際して、戊辰戦争において戦地となった場所は例外として、全国津々浦々が混乱を極め、略奪や暴行が横行したという事態に至っていないということは、少なくとも社会生活を維持できるような秩序が保たれていたということになる。つまり、行政が機能しない状態にはほとんどならなかったということになろう”
たとえば大災害のときなどでも、日本人は秩序正しくふるまうことが折々話題になるが、道徳心もさることながら、行政に対する信頼感が実はとても大きいのである。行政がきっと対応する、援助がくると信じられるからこそ、暴動や略奪にはならない。
天下の体制ががらりと変わっても、幕末の人々が落ち着いていられたのも、日常生活に直結する行政が機能し続けていたからなのである。
新政府による旧幕臣の登用というと、勝海舟や榎本武揚、渋沢栄一などの大物の名前を思い浮かべるが、ここで頑張ったのは旗本や御家人などの幕臣たちであった。今風にいえばノンキャリの官僚たちである。
薩長土肥や越前・尾張などの雄藩は、藩の規模、いわば地方自治の規模での統治の経験しかなく、全国規模の統治は未経験だった。そのノウハウや人材を持っていたのは幕府のみだったのだ。
明治政府による旧幕臣の登用については「国難にあたり、敵味方の分け隔てなく優秀な人材を登用した明治政府の度量」という見方もあるが、実情は徳川400万石の幕領を統治する行政組織をそのまま活用しなければどうにも事が動かない、というのが実情だったようだ。
「岩倉使節団」は、欧米の制度や法制を視察・研究するために派遣された専門官のほかに、実務にあたる書記官を多数含んでいたが、書記官の多くが幕末期の外交交渉にあたった旧幕臣であったという。それゆえに彼らは、使節団における地位は低くとも知識や経験は豊富だった。
現実の外交交渉の場ではかれらに頼らざるをえず、岩倉さえも頭が上がらない始末。しまいにはホテルの部屋割りに至るまでバチッと仕切ってしまったという。260年にわたりこの国を平穏に運営してきた幕府の官僚たちの意地を感じるエピソードである。
■いつの時代も組織力が重要
変革の時、人々はヒーローを求める。新しいビジョンを示す人物を求める。しかし、どんな優秀な人物がどれほどすばらしいビジョンを描こうとも、それを実現するためには組織が必要であり、最前線で実行していく力をもつ人材が不可欠なのだ。
その人材の層にどれほどの厚みがあるかが、その社会の力、基礎体力ともいうべきものだろう。それがしっかりしていれば、どんな社会変動があっても乗り越えてゆけることを、幕臣たちの働きが教えてくれる。
明治政府の改革を支えた無名の幕臣たちを思いながら、「人」の力の大切さを軽んじるような世の中になりませんようにと願うのである。
http://toyokeizai.net/articles/-/56892
ボスが誰でも話はちゃんと回った
戦争とか大きい話は下が頑張ってもボスの無能決定が脚を引っ張った
責任が明確だと日本人は優秀なんだよな
そういって軍部の中堅が暴走していったんだけどね
目標に向かって組織をマネージ&コントロールするのがボスの仕事なのであって
それをマネージできず好き放題させて破滅まで走ったのは
マネージャーでありながら制御しなかった無能ボスの仕事の結果
伝習所で各藩や非士族も集めて海軍士官教育してたよ
江戸幕府の武士階級は戦争が弱くなってしまっていた。
戦争の弱い武士になんで従わなきゃならない。
長州の下層民ライフル兵はそう思ったし、軍国主義の薩摩もそう思った。
>明治維新の成功
正しくは薩摩・長州といった外患誘致勢力による日本乗っ取りの成功だろ
倒幕したい薩長と日本を植民地化したい毛唐の利害が一致した
外患誘致が目的なら財政破綻寸前だった全国(静岡、佐倉除く)諸藩の再建や廃藩を阻止して
借金漬けのままのほうが効率的に搾取・支配できたのでは?
たいていはそのまま引き継がれることが多いだけなんじゃね?
このあたりが正解だわな
既に独自に世界レベルに達していたわけで
無いのは科学技術と近代思想だけ だったんだから
いきなりの人手不足、人材難だったんだよ
だからってその辺の農民いきなり採用するか?
要経験ってことで幕臣が重宝されたんだよ
身分固定化(親のポストを子が継ぐ)、イノベーション禁止、朱子学イデオロギーなどは鎖国とセットだ。
鎖国が成り立つことが絶対条件で、これが無理になるとこの体制は「ダライ・ラマのチベット化」する。
下層民をライフル歩兵に仕立てた長州や、軍国主義の薩摩が19世紀の日本にあって良かったといえる。
ダライ・ラマ体制=江戸幕府体制は国内の圧制には向いているが、対外戦争はからきしダメだから。
江戸幕府はどうやら武士階級の解散まで考えてたみたい
もちろん将軍は別だろうが選挙制度の真似事みたいなのまで
日露戦争までの時間を考えたらアウトだろう。
各藩の合議制でちんたらやっていたら日清戦争にすら勝てなかったに違いない。
身分解放→徴兵制→軍制改革ここまで一気にやる必要があった。
あっさり返上できる有能
結局逃げた理由が不明なんだよな
1人でトンズラしたんじゃなくて会津の殿様と拉致してる辺り
マジでわざと負けた可能性が高い
世界に対応していくための日本にしていくためには根本的な変革が必要だった。
薩長連合が倒幕の狼煙を挙げて江戸に迫ったのはある意味チャンスだったのかもしれない。
日本にとって最大に幸福なことは江戸城無血開城という選択肢を成し遂げることができたことであり、上野、東北、北海道での局地戦があったものの比較的スムーズに新政府の行政機構に移管された。
旧幕臣の中で明治新政府に登用されたのは当然のことである。
そして江戸城無血開城の立役者でありその後倒幕後の将軍家や旧幕臣への世話係として明治新政府を影からバックアップした勝海舟に対しても満腔の敬意を表するものである。
江戸城を無血開城させたのは山岡鉄舟だよ
勝なんて口だけ野郎で嫌われまくってた
なんて言ってるやつがいるけど、立派でもなんでもなくそうするしかなかった。
そうするしかない連中・・・つまり兵士として価値ゼロの集団だから無血開城しただけのこと。
ふつうはスターリングラードでも、硫黄島でも、アラモ砦でも必死に戦う。
江戸にどれだけの人口がいたのか知らないが、恥ずかしい話である。
普通なら徹底抗戦してた、そして日本は泥沼の内戦へ。
普通じゃないから凄い。
その例は全て内戦じゃないじゃん
結果的にはそりゃ無血開城はよかったさ。
ただそれは「イキがっててスイマセン。戦争する根性もない自分らが支配者なんて間違ってました」
っていう平伏と悔恨の表明としてでだな。
あとから日本の将来のために「無血開城してやったぜ!」なんていうのは、もう一回しばかれたいかって感じだよ。
内戦で国力を落とすわけにはいかなかったから無血開城は立派でいいんだよ
結局戊辰戦争起こしてるけど
>そもそも開国・近代化を目指したのは幕府の方が先だった
徳川慶喜などは早々に開国の判断をしていた
二転三転したのは朝廷で幕府がそれに振り回されているのに乗じて
薩長に倒されてしまった
幕府は勝てないわけではなかったと思うが本気で戦っていれば
そこに乗じたのは外国だったかもしれない
開国して外交を重視することに幕府と倒幕とで違いはなかったが
旧来の身分制度の改革と薩長による主導権奪取
危機感が幕府、その他諸藩というミクロな視点ではなく
いずれ日本にも同じ手口で内政干渉してくるのは
容易に予測が立ち内戦などしている暇など無かったのが実情
司馬遼の本引っ張り出してくるか
いいね!しよう
本日注目の話題!
コメント一覧
※ 1.
私は名無しさん
2015年01月05日 12:59 ID:rXmgFKnj0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
軍を近代化していたとしても政治体制が古いからその後国民国家になるには障害になるしなるべくしてなったんでしょ。慶喜も賢いけど考えが古いし、自尊心が高く人材を使い捨てにする人だから無理があるよ。
斉彬くらいなら改革できただろうけどそれ以外の君主系は能力不足。
その斉彬に影響を受けた大久保や西郷、そして関ヶ原の負け組であり奇兵隊を作って農兵を擁した長州がひっぱって開国、近代化したんだろう。一回壊さなきゃ土台から新しくしないと対応できなかったんだよ
※ 2.
私は名無しさん
2015年01月05日 13:31 ID:DU.dbGUL0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
ついでに当時、コレラがはやり大勢の人間が亡くなった。当然、既得権益者層
も減った。これも変革しやすい状況を作った一つ。名前の残っている人間だけ
が活躍したわけではない。皆が皆、自分の思いで様々に動いた結果が維新の道
を開いた。日本は、権威と権力が分離している。だから時代が変わる時、権力
を持つ政権が対応できなくなり落ち、浮上した次期政権が、最高権威である天
皇の権威で認められ政治を行う。摂関政治から延々くり返されてきたしくみ。
征夷大将軍であれば必ず心得ていたはず。慶喜はいい将軍だったし、彼を動か
した山鹿流が近くにいたかも。吉田松陰も山鹿流だそうだよ・・。
※ 3.
、
2015年01月05日 15:33 ID:SG7RAH4D0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
そらそうよ。真の革命なんてうまく行くわけない。ましてや外圧からの革命だからね。
※ 4.
私は名無しさん
2015年01月05日 15:53 ID:5glQ70S80 ※このコメントに返信する※
(e/d)
綺麗に負ける事が出来たという一事を取っても旧幕府は立派だろ。
戦の勝ち負けだけでグダグダ抜かしてる本スレの吉外みたいなのがトップにいたら、今頃の日本は未開国家だわな。
※ 5.
私は名無しさん
2015年01月05日 21:37 ID:39Say.fw0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
まあ、幕府側から見れば竜馬はスパイであり、武器商人だからなあ。
いつの時代も勝った者が正義なんだろうなあ。
※ 6.
私は名無しさん
2015年01月05日 22:27 ID:Wlplv58i0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
つか、幕末の開明派藩主は基本佐幕派だし。
島津斉彬も佐幕派。
幕臣で一部保守の塊のように思われている井伊直弼なんか、近代化推進派。
安政の大獄とかも、音楽性の違いでわかれてるようなもの。
※ 7.
なはたら
2015年01月06日 01:17 ID:BzNbMAjI0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
以前から あった説だな
※ 8.
2015年01月06日 22:24 ID:vwRv9Wfj0 ※このコメントに返信する※
(e/d)
そもそも、明治政府でも貴族院を実質支配したのは德川公爵家をトップに据えた旧幕閣だからな。
在野の賢臣を登用できたという意味では明治政府に価値はあった。
幕府は滅亡寸前に至って初めてダイナミックな人的流動を可能にしたからね。
後は幕府制度と不可分になっていた形式主義と制度疲労によるコストの増大。それに比べれば藩閥政治家の汚職の方がまだしも安かった。
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