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【父母の話】泣けるコピペを貼っていく

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1: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 11:51:46.98 ID:MxH7/mRw0.net

今年、母が亡くなった。

遅い反抗期だったと思う。中学生まで親に逆らわず良い子だった俺が、
高校生になり急に親に反抗するようになった。
母親には罵声を浴びせ、家に帰らない日々が続いた。

高校卒業と同時に家出同然に実家を出た。
最初のうちはそれでも住所くらいは伝えていたが、
住所を何度か変えるうちいつの間にか両親との連絡は一切途絶えてしまっていた。
唯一電話番号を教えていた(それでも一切連絡のなかった)弟から電話が来たのは、
俺の彼女のお腹に子供がいることが判明した今年2月の事だった。

母が倒れたと言う。
両親に対する反抗心はもうなかったが、いまさら帰るのは正直億劫だった。
母が深刻な状態などとは思ってもいなかった。
それでも行く気になったのは、彼女を紹介しようと考えたからだ。

母親が亡くなったのは、翌日俺たちが高速道路を走っている頃だったらしい。
久しぶりに会った親父はひどく小さな背中をしていた。
相変わらずの無骨な声で、「よう」だか「おう」だか一言発しただけだった。
母は俺の記憶とは全く違う老いた顔で、それでも安らかな表情で眠っていた。
涙は出なかった。

葬儀も終わって一週間位たった頃、親父から俺宛にひとつの段ボール箱が届いた。
中身は父の無骨な字で書かれた「母さんの形見だ」というメッセージと大量の手紙、
そして、ひとつの指輪だった。
百通以上はあろうかという手紙は、すべて母が俺に宛てて書いたもので、
俺が家を出た頃から書いていたらしい。
母らしい丁寧な字で ひたすら俺のことを心配する、そして自分の不甲斐なさを俺に詫びる内容だった。
それらの手紙は、親父らしからぬ几帳面さできちんと順番に梱包されていた。
同封されていた指輪にも一通の手紙が添えられていた。
「この指輪は、私のお母さん、つまりあなたのおばあちゃんの形見です。
私が結婚するときにもらったものです。
あなたにいい人ができたら、この指輪をプレゼントしてあげてください。
私の両親や私たちのように、幸せな家庭を築いてください。」
俺は指輪と手紙を彼女に渡して、黙って寝室に行った。

しばらくして彼女が真っ暗な部屋に入ってきて、俺の背中に背中を合わせて座った。
すすり泣いていた。
その時、「あぁ、泣いてもいいんだ」と思った。
涙が出てきた。止まらなかった。母さんごめんな。そしてありがとう。
生まれてくる娘の名前には、あなたから一文字頂きます。
あなたに返せなかった愛情を、そのぶんこの子に与えられるように。

そして、あなたの優しさや強さをこの子に伝えるために。
サイト内後記事:【兄弟の話、仕事の話】泣けるコピペを貼っていく

引用元: 暇なので泣けるコピペを貼って行く




2: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 11:52:34.61 ID:MxH7/mRw0.net

私の父と母は、昔から仲が悪かった。
喧嘩する仲というよりも、冷え切っていた。
それは小学生だった頃の私にもわかる程だった。
気付いたら父が別居していたりと、どちらかというと母と一緒にいた記憶のほうが多い。
強くて美しい母は、私には冷たかった。理由は未だにわからない。
母が夜に遊びに出掛けるのを、私が泣いて嫌がると、重いソファーに潰して出掛けたり
学校の帰りが少しでも遅くなると、遠くから走って家に入ろうとする私を、
母は玄関から冷たい目で睨み、玄関の鍵を締めたり、とにかく、嫌われていた。
そして私は、どんどん壁を作った。傷つかないように。
大好きなママに、これ以上嫌われないように。

私が中学生になった時には、既に完全に別居となっていて、父と会う事はほぼなくなっていた。
兄はグレてしまい、高校を中退し家を出ていってしまった。
冷え切った関係のまま、母と私の二人暮しで数年過ごした。
中学三年の半ばのある日、ママは夜遊びをせず家にいた。嫌な予感がした。
ご飯を食べ終わった後、ママは言った「ママ、離婚して東京に行くから」
美人で、気丈なママが、私の膝の上で泣いた。初めて泣いた。
壁が出来上がっていた私には、無表情で「そう」「うん」としか言えなかった。
でも、そんなママの姿を見て私の涙は止まらなかった。
ママは私を嫌っているのに、なぜ泣く?

私が高校に上がったら出ていく、とママは宣言した。
ママとの二人暮しも、高校に上がったら終わり。
それからのママは、壁はあるものの優しかった。
高校の入学式の朝、ママは数年ぶりに「おはよう」と言ってくれた。
気恥ずかしいせいか、笑顔ではなかった。でもママなりに頑張ったんだと思う。
部屋の中の片隅には、ママの荷物がまとまっていた。
洗濯や掃除も、すべて片付いていた。
「○○が家に帰ってきたら、ママいないからね」と念を押した。
泣かない。絶対に泣かない
そして、私は玄関を出た。薄いカーテン越しに、私を見ているのがわかった。
どんな気持ちで見ているのかはわからなかった。

入学式が終わると、走って家に帰った
もちろんママは、いなかった
大好きなママ、ひとりぼっちの家、ひとりぼっちの高校生活、手料理の味
涙が、止まらなかった。


3: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 11:56:29.83 ID:MxH7/mRw0.net

あの日俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕食も食べずに部屋に篭もった
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んで来たので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の父親の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげて下さいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった

通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている。


4: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 11:58:05.98 ID:MxH7/mRw0.net

今年の3月
高校卒業と大学入学祝いに父と2人きりで初めて酒を飲んだ
父と対座して酒を酌み交わすってのが
なんとも居心地が微妙なもので・・・。
かといって 下戸なのですぐに酔ってしまい、
父はカラカラと、これじゃあ酒でまだお前に負けることはないなと
笑っていた。

しかしその3日後に緊急入院。
末期の食道癌で家に帰ることなく闘病7ヶ月でこの10月10日に逝った。
あの日が最初で最後の父と息子の晩酌だった・・・。


父の遺品を整理していると、ワインが納屋からまだいくつか出てきた。
几帳面な父らしく綺麗に生理整頓されていた。
俺は銘柄の良し悪しは良く分からないが、ラベルを見てみると、
何か文字がメモしてあった。

「××(俺の名)大学卒業用」
「××就職時用」
「××結婚時用」

瓶を抱いて俺はずっと泣いてしまった・・・。
ワインをあける機会を奪った病気を恨んだ。

もっと酒を教えてもらえばよかったと、もっと色々話しすればよかった

本当に・・・。


6: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:00:04.35 ID:MxH7/mRw0.net

学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、一緒に居ると息苦しさを感じていたので、父が帰宅する前に帰ってしまいたいということもあり日帰りにし、ひいては家から通えない距離の学校を選んだのも理由の一つだった。

父が、「なんだお前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、
「そうか・・・」と言いながら手に持っていた ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
電車の中ではさすがに食べられないと思いながらも受け取った。

駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。 でも、私が9個貰っても食べきれないよ・・・
箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。

様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも
切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯直後の干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、もう一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた・・・。


8: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:00:55.45 ID:MxH7/mRw0.net

母が脳梗塞で死んだ。
43歳だった。

10日まで元気だったのに。急に逝ってしまった。本当に急に・・・
11日の朝、母は低血圧で夜遅い仕事のせいもあるのだが朝が弱い、朝食を作るのは俺の日課になっていた。
いつもみたいに朝御飯作って母さんを起こしに「ごはんできたぞ」と呼んだ。
でもいくら呼んでも返事がなかった。いつももう少し寝かせてとぶーぶー文句言いながらも、絶対に起きてくるのに、おかしいと思って見に行ったら母さんはもう冷たくなってた。
最初はふざけてるのかと思った・・・

俺がまだ3歳のときに父親が死んで女手一つで俺を育ててくれた母さん。
よく口論もしたし引っ叩かれもした。まるで姉弟のようにほんとよく喧嘩した。
母さんが会社の帰りに飲みにいって終電なくなると毎回俺が呼び出された。
あきる野に住んでるってのに新宿だ、吉祥寺だと。
あちこち呼び出され、ほんとアホかと。

高校卒業間近の時、金きついのに大学いかせてくれた。
金ないんだから働くよと言ったら、おもいっきり引っ叩いてまで俺を大学に行かせてくれた。
今年大学をキッチリ卒業して就職してこれからやっと親孝行できる身になったのに…。
なのに母さんは急に死んでしまった・・・

友達や親族とかにこの顔見せるのはさすがに辛いからここだけで叫ばせてくれ。
かなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしい
どうしよう。なんかもうなにしていいのかわからない。
今年の年末年始は母さんを旅行に連れてってやろうと思ってて…。
もう計画だってちゃんと立っててあとは年末年始を待つだけだった…。
結局俺はなにもしてあげられなかった。

母さんの生命力吸い取るだけ吸い取って。
一人前に俺がなると生命力吸われすぎて交代のように母さんだけ消えてしまった…。
やっと親戚も全員帰ってくれてこれでやっと一人で泣ける。
なんか泣くのガマンしすぎた。
これ書きながら涙とまらない。
母さん幸せだったのかな。幸せにしてあげたかったな。
女で1つで育ててくれた母さんに親孝行したかった・・・・


9: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:03:52.50 ID:MxH7/mRw0.net

俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。

当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。


10: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:06:01.42 ID:MxH7/mRw0.net

大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。
往年の面影も消え、ガリガリになった親父がまた時計をくれた。
まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。

俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はまだ時を刻んでいる。


11: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:07:47.42 ID:MxH7/mRw0.net

私の父は無口で頑固で本当にこわくて
親戚中が一目置いている人でした。
家に行ってもいつもお酒を飲んでいて
その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。

私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと
ずっと黙ったままやっと口を開くと
「ビールは何を飲むんや?」でした。
その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。
その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て
なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。
当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで
イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。
2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって
なんで冷たく言っちゃったんだろう?
あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが
残されてた・・・
その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日
「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。
幸せになれ。」って書いてた。
おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が
押入れいっぱい詰められていた。


12: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:09:15.17 ID:MxH7/mRw0.net

母というものを知らずに育っていた。
でも、祖父母も父も俺を愛情を持って育ててくれていたし、
祖母は事あるたびに母の悪口を言っていたから、会いたいと思ったこともなく、
むしろ憎んでいたかもしれない。

中学2年の夏休みの頃だったか、予定より早く部活を終え、帰宅すると、
家の前に見知らぬ女性がいた。

にっこり笑いかけ○○君でしょ?って声をかけて来た。
頷くと、祖母を訪ねて来たが留守のようなので困っていたとのこと。
待っていうちにお腹がすいて来たので、おごるから一緒に近くで食事をしないかと言われた。
自分も空腹だったので、不審に思いながらも付き合うことにした。

ファミレスで彼女は食事をしながら俺にわからないように何度も涙をぬぐっていた。
俺もいくらなんでも彼女が何者なのかを察していたが、知らないふりを通していた。

「おばさんのお父さんがね、昔、事業に失敗して大きな借金を作っちゃったの、
おばさん、保証人になっていたから借金取りが私のところにも来ちゃって大変だったのよ。
その時○○君のご家族にもご迷惑かけちゃって・・・」
と離婚の原因になったようなことも話していた。

その女性はそれ以降も何度か俺の前に現れては食事に誘ったりお小遣いをくれたが、
どこかのオバサンという認識でしか考えないようにしていた。

でも、そのうち、彼女がやってくるのを心待ちにしていることに気が付いた。
(決してお小遣いをくれたり食事を食べさせてくれるから、というのじゃなく)
祖父母や父は絶対そんなことがあったことを知らないと思っていた。

高校受験が間近に迫っていた頃、祖母がポツリと独り言のように言った。
「そろそろ、母ちゃんって呼んでやりんさいな。あんたももうわかっとるんやろ?」


13: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:10:52.28 ID:MxH7/mRw0.net

これ、反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。
幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と二人暮らしをしてた。
友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に宝物の様に可愛がってくれて、
一生懸命働いてくれてた。

私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。
風邪の時には仕事さぼってでも側に居てくれてた。
寂しい思いはさせなかったと思う。
二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。
けど、十代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。
心配される事とか、口聞く事も、すべてがうっとおしくなったんだ。
私は毎晩、夜遅く帰って来て、父が心配してくれても、私は父に罵声しかあびせなかった。
友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなった。
そんな毎日を繰り返し、また夜、久しぶりに帰ったら私の分のおかずとか、
小さなケーキがおいてあったんだ。
もう誕生日も二~三日すぎてたのに、おいてあって、毎日ご飯作って、
いつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていてくれてたんだとおもったら、
切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。
そして無造作に置かれてた小銭入れ、ボロボロな汚い小銭入れ、
私が幼稚園の頃に父の日にあげたやつ。まだ使ってたんだ。
父は、ほんとに私を誰よりも何よりも大切な宝モノなんだって事が胸につきささって、
父に優しくしてあげられなかった事に、また泣いた。
また後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも、肌身離さず持っていました。
あの一件以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。

そんなこんなで今私は結婚もして、もうすぐで子供も産まれます。
私は父がくれたあの愛情を、これから産まれてくる子供にたっぷりそそぎます。
そんな私をこれからも空から見守っててください。
お父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。私はとっても幸せです。大好きだったよ。


14: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:13:27.27 ID:MxH7/mRw0.net

突然、心臓麻痺で倒れて、そのまま父は逝った。
旅行先だった。父さんが一番楽しみにしてた。
毎月でも行きたかったけど、家が貧乏だから。
毎年だけど夏に海へ行ってたんだ。
一日目の海ではしゃいでた父がまだ残ってるよ。
子供みたいにはしゃいでから寝てたアンタを見るのが、毎年の楽しみだったよ。
一日目の夜に、明日は○○海岸行こうって、ホント子供みてーだなぁとか言ってからかってた。
そんで次の朝なかなか起きない父を見てオレは泣きそうになった。
父が冷たかった。
昨日あんなにはしゃいでたのにな。はしゃぎすぎたんじゃねーの?
それでも俺は泣かなかった。家族の前で泣くやつは男じゃないとか勝手に造ってて。
妹も母も泣きじゃくってた。見てるのが辛かった。
それでもオレは、ばかみてー意地張ってに泣かなかった。
数日後に、母さんが俺と妹に真剣な顔で言ってきた。
父さんは元々、心臓が弱かったらしい。
医者とかにも、海は行くなって言われてたらしいけど
なんで海に行くのをおkしてくれたのか、後になって母さんにだけ教えてくれたらしい。
母さんはまた泣きながら俺たちに話してくれた。
父さんはもう自分が長くはないって分かってたらしい。
だから、最後に家族で沢山思い出を作ってやりたいんだって
子供たちに、いい親父だった。って言わせてやるんだって
母さんが泣いて、妹も泣き始めた。
オレももう、泣かずにはいられなかった。
はじめて家族の前で泣いた。どんな時も泣かなかったのにはじめて泣いた。
馬鹿な親父だな。もう一年生きてたら最高の親父だったよ。
でもオレには馬鹿な父親じゃないとダメだった。
アンタが馬鹿でよかったよ。最高なんていらないんだよ。

ありがとう父さん。いつかオレがそっちに行っても、ずっと馬鹿な親父でいてよ。


15: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:15:21.76 ID:MxH7/mRw0.net

俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。

この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。
あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、
寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、
とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら
遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、
俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。
そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、
親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。


16: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:17:32.12 ID:MxH7/mRw0.net

ふと気がつけば、もう随分と昔の話。
学校帰りに東武のデパ地下を通りかかると、丁度パン屋でメロンパンが焼きあがったところだった。
試食させてもらうと中々美味かったので、俺はオヤジへの土産と自分の分の二つを買った。
甘いものが好きで子供舌なオヤジの事だから、多分メロンパンも好きだろうと思ったのだ。

当時、オヤジはガンの手術を受けた直後。家のベッドで療養していた。
衰弱して手足を満足に動かせないオヤジに、俺はメロンパンを千切って食べさせた。
「うん、美味いな」
「だろ?だから思わず買ってきたんだって。もっと喰う?」
「……いや、いい」
オヤジはメロンパンを二欠片しか喰ってくれなかった。
ちょっと拍子抜けして、俺はほぼ二個のメロンパンを平らげた。

それから数ヶ月。
転移したガンにやられ、オヤジは51歳で天国へ長期出張。
通夜・葬式と慌しく時間が過ぎ、やっと一段落した時、俺は初めてお袋にあの時のメロンパンの話をした。
そこで初めて知った事が二つ。
オヤジはそんなにメロンパンが好きではなかったという事。
あの時、既にオヤジは口から食べ物を摂取できる状態ではなく、
たった一片のメロンパンでさえ食べるのが苦しかったはずであるという事。

オヤジは無理してメロンパンを食ってくれたのだ。断ってしまって、俺が傷つかないように。

メロンパンを見せた時の「おぉ!」という声と笑顔。
「喰う?」と聞いた時にも躊躇い無く「喰う」と答えてくれた。
思い出して、涙が止まらなかった。

一昨日、職場のおばちゃんが美味しいメロンパンを買ってきて、俺におすそ分けしてくれた。
俺が思わず涙ぐんだ理由をおばちゃんは知らない。


17: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:20:04.22 ID:MxH7/mRw0.net

母が俺の部屋にきて今日のごはんについて聞いてきた
「たけし 今日ご飯なににする?」
からあげが食べたかったが、
素直に「から揚げが食べたい」といえなかったので
「なんでもいい!」と答えた
「なんでもいいが1番困るのよ~、ねえ何がいい」
母があまりにしつこいので酷い言葉を浴びせてしまった
「なんでもいいから、早く作れよ!!」
母はすこし悲しそうな顔で台所に向かった
「たけしー ご飯よー」
しばらくして母に呼ばれたが、すぐには向かわなかった
よばれてからかなり後に食卓に向かうと、そこでは母が待っていた
母が持ってきたのは俺が食べたかった、から揚げだった・・・
なんだかとてもうれしかったので 洗物をしている母に
久しぶりに「ごちそうさま」といった
すると母は今まで見たことのないくらいの笑顔で
「ありがとう」といった
久々に見た母の笑顔だった
うれしかったが、今まで「ごちそうさま」という
こんな当たり前の言葉も 言えなかった自分を
恥じないではいられなかった
今度機会があったら、母に「いつもありがとう」と伝えたいと思う・・・


18: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:24:25.12 ID:MxH7/mRw0.net

おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、
祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。

その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、
はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、
だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、
聞きました。
帰る時、「今日はおかあちゃん、なんも できひんかってごめんな。」と、
言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。
母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。
帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と
聞かはりました。私は、
「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、
泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。
「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。
家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。


19: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 12:25:53.53 ID:MxH7/mRw0.net

おれは今22歳の誕生日を迎えようとしている。
家族は姉、母、血の繋がっていない父がいる。
おれが7歳のとき離婚したのだ。
おれが小学校のとき学校から帰ってくると家には親父がいた。
母は働いて帰りが遅いし、姉も遊びに行ってしまっていなかった。
毎日毎日喧嘩ばかりしていた親。やさしくなんかなかった親父。
その親父がおれにファミコンを持ってきてくれた。
勿論うちは貧乏だって幼いながらわかっていた。
友達の周りにはスーパーファミコンを持っているヤツがチラホラ出てきたころだ。
でもおれは嬉しかった。
しかし感謝の言葉がうまく出なかったのを覚えている。
ドクターマリオも買ってきてくれたので二人して遊んだ。
親父はすぐ帰ってしまった。
母に来たことは内緒なと言われたがそのとき意味はわからなかった。
その日から母の帰ってくるまで毎日二人でドクターマリオをやっていた。
ただ純粋に幸せだった。
ずっと厳しかった親父。すぐ殴る親父。おれにも母にも。ずっと嫌いだった親父。
だから感謝の言葉が出なかった。
中学に上がり自然と親父とは会わなくなってきた。年に数回会うくらいに。
おれが19歳のとき、親父は大腸癌の為、亡くなった。
涙が、止まらなかった。何故か、止まらなかった。
いい思い出なんかなかったのに・・・。
今この歳になり、あのとき親父がおれにしてくれたやさしさがわかった。
淋しかったおれの為に・・・。
おれの部屋にはまだファミコンがインテリアとして置いてある。
彼女にはいい加減捨てなよと言われるが笑って流している。
捨てるわけにはいかない。大切なものだ。
素直に『ありがとう』と言えなかった後悔を忘れないために。
今いくら言っても届きはしないが、この場を借りて
ありがとう親父。
そして今日もホコリをかぶったファミコンにはドクターマリオがささっている。


24: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:06:00.79 ID:MxH7/mRw0.net

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。

友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。


25: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:08:13.41 ID:MxH7/mRw0.net

もう10年も前の話。
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。

妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、
私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。

実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、
実家の母にしばらくきてもらうことになった。

出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。
そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・

「まぁ、行くよ♪」 娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。

あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとってもさみしいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」
そう言っていたのよ。

何ということだ。娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。

10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。
来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。


27: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:13:49.07 ID:MxH7/mRw0.net

友達と女4人で焼肉屋で飲んでた時。
経緯は忘れたけど、ジャンケンで負けた人が親に電話して
「生んでくれてありがとう」を言う、って流れになった。

電話つながった時から上の台詞を言うまでの会話は自由、
言った後電話切るまでも自由。
出身地の方言も可。
おふざけは厳禁、真剣に伝える事…というルール。
なぜか皆本気で、後には引かないとか言い出す始末。
初っ端から私が負け、
30分前に用事で電話したばかりの父に電話する事になった。

電話はつながり話し始めたものの
前置きばかり長くなり、外野は野次飛ばし始めるし
こっちは焦って頭真っ白になってくる。
昔は脱サラ親父なんて一生許さん、恥ずかしいとしか思ってなかったけど、
自分も仕事するようになって、最近では今の仕事してる父さんは
すごく誇りに思える。そんな父さんの娘に生まれて本当によかったと思う、
「生んでくれてありがとう」…って言った時、
顔上げたら友達皆泣いてやがった。
何人事で泣いてんだつーの。
でも「何や、どうした今日は」と言う父のほくほく顔が目に浮かんで、
電話切ってから、私も滝の様に涙出てきて声あげて泣いてしまった。

DQNばっかりの安っすい焼肉屋で、何やってんだろorz
でも泣けてきて仕方なかったんだよなば


29: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:15:14.04 ID:MxH7/mRw0.net

俺が小学生になったばかりのころ、お袋が免許を取った。親父は免許を持っていなかった。
免許取ったお袋は平日に一人でディーラーに行って車を買ってきた。
数週間後に届いたクルマは5thスカイライン。もちろんMT。
俺の子供の頃の家族旅行の思い出はいつもこのスカイラインとともにある。
歳月は過ぎ俺が高校生になったころ、11年になるスカイラインはまだうちにあった。
しかしもう家族で出かけることもなくなり、ファミリーカーとしての役目は終えていた。
俺が免許を取ったとき、その古いスカイラインを運転することが格好悪く思えてすごくイヤだった。
親父とお袋に頼み込んで新しいクルマに買い換えてもらった。
俺の希望によって買ったのは初代のレガシィ。
納車の日、ピカピカのレガシィがやってきて大はしゃぎの俺。そんな俺の後ろで
お袋は走り去ってゆくぼろいスカイラインの後ろ姿を追っていた。

お袋は泣いていた。

ものすごいショックが俺を襲った。あのクルマはお袋にとってどんな思いが詰まって
いたんだろう? 幼い俺を連れてあちこちドライブするために免許を取り自分で選んだスカイライン。
その瞬間まで全然気が付かなかった。気づいたときにはもうスカイラインの姿は見えなくなっていた。
結局お袋はその後あまりクルマを運転しなくなった。
お袋にとってはあのスカイラインが一生に一台っきりのクルマだった。


31: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:17:11.41 ID:MxH7/mRw0.net

結婚が決まり、実家から引越しのその日に父から来たメールです。
新居で一人、荷物を片付けていると携帯が鳴りました。

『結婚おめでとう。
今日からが○○(私の名前)の人生のスタートになるんだろうと思います。
○○には、沢山苦労をかけてしまったけれど彼と幸せになるんだよ。
辛かったらいつでも帰っておいで。
お父さんとお母さんは、いつでも待っています。』


家具一つない新居で、一人ワンワン泣きました・・・

お父さん、私は幸せにやってます。
年末には帰るからね。


32: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:18:39.01 ID:MxH7/mRw0.net

もう10年前の話し。
犬が大嫌いと言う父。
猫は可愛くてたまらんと
目尻を下げる。
今日は こんな嫌な犬を見て 腹が立ったなどと言う。
ある寒い夜 父から携帯に電話がきて
いますぐ近くの健康ランドへ紐をもって来い。早く。
私は よくわからないまま 車で5分ほどの場所にむかった
話をきくと 通勤通路のこの場所に数日前から可哀相な犬がいて
ご飯も食べてないはずだから
連れて帰るということだった
犬は嫌いだし怖いから紐で捕まえてつれてこい
俺は先にかえるといい
18の娘おいて帰った…

結局つかまらず 帰ったら犬小屋作ってた…
よくわからんよ 父ちゃん。


35: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:22:49.23 ID:MxH7/mRw0.net

社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。
「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。

でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。
だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、
「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、
「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。
「こんな安物かよ」とひったくって後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。

服でもバックでも、ほかに何でもあるだろ、財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!って涙が出たけど、トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。
そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。

いまでも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。ほんと美味いよ。世界一だ。
いつも素直になれなくてごめん。
マザコンでもいいよ、母さん大好きだ。



おまいら生きてるうちに親孝行しとけ。いなくなってからじゃ後悔しかできないぞ。これはマジだ。


36: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:23:36.13 ID:MxH7/mRw0.net

結構長い話が多いのでゆっくり貼っていきます!


37: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:26:59.19 ID:MxH7/mRw0.net

いきなり母が電話で聞いてきた。
当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。
「忙しいから駄目」と言ったのだが母はなかなか諦めない。
「どうしても駄目?」
「今大事な時期だから。就職決まったらね」
「そう・・・」
母は残念そうに電話を切った。
急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。

それから半年後に母が死んだ。癌だった。
医者からは余命半年と言われてたらしい。
医者や親戚には息子が今大事な時期で、心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。
父母俺と三人家族で中学の頃、父が交通事故で死に、パートをして大学まで行かせてくれた母。
沖縄に行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。

叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
絵日記には

「今日は沖縄に遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」
・・・というような事が書いてあった。すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。

自分は大きくなったらお金を貯めて父母を沖縄に連れていってあげる。
というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
母はそれをずっと覚えていたのだ。
そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。

自分は母が電話をしてきた時、どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
もう恩返しする事が出来ない・・・
涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。


39: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:32:04.99 ID:MxH7/mRw0.net

母がとある売店のパートで働いてた頃のこと。
同僚の若い子が海外旅行のために長期の休暇を取ったもんで人手不足気味の職場だったこともありその分の穴埋めとして母が休み返上での連勤することになってしまった。

目に見えて疲れてたものの母は愚痴も言わず働きに出てて、私はそんな母を励ましたいというか元気付けたいなと思いながらも気の利いたことも言えず
「職場から『お前いらない』っていわれるよりは、『来てくれ』って言われるほうがまだいいよ」
とか何とか言っただけ。
母は笑ってそれを聞いてたし、私も深くは考えてなかった。

でもその1ヶ月ちょい経った後、夜中に母が一人で泣いてるのを見つけて、びっくりしてどうしたの!って聞いたら、母は泣きながら仕事をやめたことと、実はずっと職場で孤立してたということを話した。
さっき書いた若い子の穴埋めのための連続勤務中も上司はずっと母に
「ババアと一緒で気分悪い」とか「ホントはすぐクビにしたいけど仕方ないから雇ってやってる」とか言われ続けてたそうで、それでも仕事を続けたのは私の学費とかがあったからで、毎日夜寝る前に一人でこっそり泣いてたんだそうで。

悪気は本当に無かったんだけど、私が言った「いらないって言われるよりは~」って言葉も結果的に母を追い詰める形になってて、すごい後悔した。
うちはお父さんがいないから、辛い時に家族として支えになれるのは娘の私しかいなかったのに、全く支えになれなかったどころか追い討ちかけてしまってすごく申し訳なくて私も大泣きしてしまった。

それから別のところでまたパートとして働き始めた母は、今度は人間関係にも恵まれて
(もちろん、休みとかもちゃんと平等に取らせてくれるし)元気になったけど、誰にも文句を言わず一人で嫌がらせとかに耐えてた母の当時の辛さを思うとすごく悲しくなる。


40: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:46:55.05 ID:MxH7/mRw0.net

保育園の頃、みんながアニメとかキャラ物の布団持って来てる中
うちは母さんがドラえもんを描いてくれた白い布団だった

ある時「うわ~〇〇ちゃんのお布団の絵、凄い上手~!」
と誰かが言い出し、みんなが俺の布団を取り囲んだ。俺は誇らしかった

数年前、実家の親が引っ越すってんで嫁さんと手伝っていた時に
全く使って無いような押し入れから、少し黄ばんだ子供用の布団が出て来た
「これはあの時の布団だ・・・!」
直感した俺は、嫁さんに保育園での話をしながら布団を広げてみた



めっちゃ下手だったよwなんかドラえもんが胡瓜みたいなのww
でも凄い一生懸命描いてあった。青い部分は細かく縦線引いてあったりね

うちは貧乏だったけど、親には本当感謝しています
金無い分工夫してくれた母さん、ありがとう


41: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:47:59.33 ID:MxH7/mRw0.net

私が子供の頃、父との海水浴で一緒に沖に一つのタイヤ試用の貸し浮き輪につかまって浮いていたら、いきなりゴムが破けて役に立たなくなった。
その時父は「大丈夫だよ~」と私を首に捕まらせてゆっくり岸に泳いでいったので、全然怖くなく安心して捕まってたよ

そしたらたまたま近くにボートに乗った人が現れて、私をボートに乗せてくれたとたん、父が沈んでいってビックリしたww

父は私には平気な顔をしていたけど限界だったんだね
結局、父もそのボートの人に助けられて無事だったけど、後からもし一緒に沈んだら死んでも死に切れない!何とか子供だけでも・・
と最後の方は無意識で泳いでいたそうだ

父は何というか、暴力的では無かったけど家に寄り付かないわ
愛人は作るわ借金こさえるわで、ろくでもない奴だったけど
あの時の記憶があるから、最後のところで父を許しているし
自分も完璧な親である必要は無いが、いざとなったら子供を守れる親でありたいと思う。

出来るかどうかは判らないが、そうありたいと思うよ


42: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:48:51.44 ID:MxH7/mRw0.net

今日滅茶苦茶泣いた。


当方女。母親に突然謝られた。
「たくさん酷いこと言って御免。お母さんの事嫌いよね。御免なさいね。許してもらえないだろうけど御免なさいね」

何言ってんだっつって笑い飛ばそうと思ったんだけど、
「6年生の時、水泳の選手に選ばれたのに、お兄ちゃんの受験ばっかり心配で”そんなこと大したことじゃない”って言ってごめんね」
と言われた瞬間に思い切り涙と鼻水が出やがった。

それ、ついこの間、酔っ払った勢いで親父に言ったことだったんだよ。親父から聞いたのか。
でもさ、些細なことだったし、兄貴の受験が大事なのって当たり前だったじゃん。
お母さんも大変だったし。いっぱいいっぱいだったの知ってるよ。
だから大したことないよって思ってたんだよ。飲んだついでに言った笑い話のつもりだったんだよ。
私、全然気にしてないと思ってたんだよ。自分が。
でも凄く気にしてたんだなーって気が付いて涙が出た。
で、こんな事を今更言う母親が物凄く物凄く辛い思いをしたんだろうなって思ったら本当涙が止まらないんでやんの。
母親をいじめたような気持ちになった。親父に言わなければ良かった。
お母さん御免なさい。昔の事なんかどうでもいいんだってば。御免なさい。
泣きながら謝るのやめて下さい。


なんかもう、本当、自分アホ。泣ける。


43: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:51:33.21 ID:MxH7/mRw0.net

主人は3年前に左目を失明した
義眼を入れているので、見た目は言われなければわからない

失明した原因は当時1歳7ヶ月だった息子とじゃれあって遊んでいた時
おもちゃの先端が主人の左目に運悪く刺さってしまったからだ
事故当時、主人より息子の方が泣き叫んでいたように感じる
子供心にただ事ではないことを感じていたんだろう
傷の具合が良くなくなってから主人は、自分の運転中に何かあってはならない、と車の運転をやめた
趣味だったバイクも売った
ただ、いつの日か後ろに乗せて一緒に出かけるために、と息子の1歳の誕生日に買った
新品の子供用ヘルメットはまだ家にある

4歳を過ぎた息子は今、父親の左目が見えないことも、なぜそうなったかも、まだ知らないはずだ
言ってはならないと主人にきつく言われているし、私自身わざわざ教える必要もないと思っているからだ
ひょっとしたらもう父親の異変に気づいてるのかも知れない

主人は今日も息子と一緒に公園に出かけ、大はしゃぎしながら帰ってきた
いずれ父の左目が見えないことも、その理由も知る時が必ずやってくるだろう
だけど私には泣きじゃくる息子の頭を笑顔で撫でている主人しか想像できない

主人が、父親が、彼で本当によかったと感謝の気持ちでいっぱいだ


44: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:55:09.81 ID:MxH7/mRw0.net

まったく関係ない話だが。
昔、父親に誕生日プレゼント買ってやると言われ、おもちゃ屋に行ったときのこと。
本当はゴジラの電動ラジコンみたいなのが欲しかったんだが、貧乏な家だったので漏れは父親の財布を心配してラジコンより50円安かったゴジラのプラモを選んだ。

父親は「ラジコンでもええねんぞ」と言ってくれたが、50円といえば5円チョコを10個も買える。
大金だと思った。だからプラモを選んだ。

家に帰ってさっそくプラモを作った。
ちんぷんかんぷんだったが、父親とワイワイ言いながら結局1週間ぐらいかかったかなぁ。
一緒に笑いあったあの時間は、今思い返すと50円以上の価値があったと思う。
ゴジラは去年、父親の遺骨と一緒に墓に納めました。
覚えてくれてるかな。
一緒に作った楽しかった時間。


45: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 13:59:50.45 ID:MxH7/mRw0.net

325: 05/17 03:26
昨日、スロットやりに近所のホールに行
ったんですよ。で、北斗の台に座ったらさ、その隣にウチの母親が座ってたの。
もうマジでびびった。そのホールは実家
から遠い所にあるし、母親は基本的にパ
チのシマにしか行かなかった人だし。
それに勘当同然で家追い出されてから、
一年ぶりくらいに顔合わせあってのもあ
っ て、もう本当に気まずくて。シカトし
て席を立つ訳にもいかないし、どうしよ
うどうしようってテンパってたら向こう
から「元気そうだね」って話しかけてき
て さ。「うん」って答えたら、「あんた
パチスロなんかやるのねー。お金も困っ
てなさそうね。安心した」って言われて。
その言葉に胸のあたりがウアーッて熱くなって、此処が店だって事も忘れて泣いちゃったのよ、恥ずかしいんだけどさ。んで「いつでも帰って来て良いんだからね」って言葉に更に大泣き。
私は涙流しながら、母と一緒に仲良く打ちました。

その後、私は単発地獄-50k。母はボヌス大爆発、ラオウ昇天×2。
母はやはり偉大です。


46: 名も無き被検体774号+@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:01:26.58 ID:YMbg0Gxl0.net

まだ途中までしか読んでないけど親を使うのは卑怯だ本当


49: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:06:46.04 ID:MxH7/mRw0.net

826: ぱくぱく名無しさん 02/13 10:26
幼稚園の時でした。
そのころ、休みの日の昼飯は親父がいつも作っていた。親父は結婚前一人暮らしが長かったからそれで料理を覚えたと言っていた。結婚後も家族サービスでたまに料理していた。そんな親父が料理しているのが面白そうで俺はせがんで教えてもらった。
最初は卵焼き。それからチャーハンとか、色々と教わった。そんな俺を見てお袋も楽しそうに包丁の使い方教えてくれた。小学生になる頃にはお袋の代わりに晩飯作るようになった。2つ下の妹はあまり料理に興味を示さなかった分、二人とも俺に色々と教えてくれました。

親父、料理好きだったな。仕事で中国に行った時には餃子作り方教わってきて作ってくれた。国内もいろいろ行ったからあちこちの料理教わってきて作ってくれた。

そんな親父は単身赴任先で急死した。
親父のアパートの台所には最後に作ったイカと大根の煮物が残っていた。それを家族みんなで泣きながらたべた。最後の親父の手料理でした。
お袋の味はいつか越えられるように頑張っているけど俺は親父の味超えられるのかなあ。


50: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:08:56.52 ID:MxH7/mRw0.net

俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」
なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!
って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。

どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、
ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。

そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを折って着ていたから。

母にはハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。

去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。初めて言ったよ。。

「生んでくれてありがとう」
って。


51: 名も無き被検体774号+@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:14:49.78 ID:MxH7/mRw0.net

俺のオカン。アホなオカン。
何回言うても違う銘柄のタバコ買ってくる。
俺のオカン。ドジなオカン。
いっつもなんもないとこでこけかけとる。
俺のオカン。機械音痴なオカン。
未だにメールが上手く打てへん。
俺のオカン。優しいオカン。
「金ない」言うたらすぐ財布から金出してくる。
金ないんちゃうんか。
親父が死んで1人で働いてギリギリの生活してんのに、
笑顔で「これ少ないけど」って2千円。
俺にこんなキレイな金使う資格ないねん。
俺万引きもしてるし人の金パクったりもしてんねん。
見てみぃ、俺にそんな金渡したからまたオカンのメシだけむっちゃ少ないやないか。
「オカン明日も仕事やろ、食えや」
って言うても
「腹減ってへん。ええさかいアンタ食べ」
って。
ウソつくなや、オカンむちゃくちゃ痩せたやないか。
ゴメンてオカン、俺バイトするからもう無理せんといてくれや。
見てみぃ、オカン倒れたやないか。
自分が情けなくてしょうがなかったわ。
せやのになんで見舞いに行ったら「ゴメンな、ゴメンな」て謝んねん。
謝んのは俺やろが。
ええから早よ元気なってまたドジでアホなオカン見せてくれや。
俺ちゃんとバイトしてるし。
またメール教えたるやん。

せやのに


せやのになんで死ぬねん。
なんで最後まで謝りながら逝くねん。
オカン死んだん俺のせいやん。
アホか。
ホンマにアホやな、オカンは。
でも一番のアホは

俺やな。
ゴメンな、オカン。
俺親父とオカンの生き残した分一生懸命生きるし、どっかで見といてな。
ありがとう、俺のオカン。


52: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:18:37.74 ID:MxH7/mRw0.net

俺は母親が嫌いだ。大嫌いだ。
おせっかいなとこが嫌いだ。何よりも子供を一番に考えるとこが嫌いだ。
大学に入り、一人暮しを始めて二年も経つ俺を赤ちゃんみたいに心配するとこが嫌いだ。
今まで付き合った彼女より誰よりも俺を心配してくるとこが嫌いだ。
金が無くなって「もっと金を送れ!」と、言って結局送ってくるくせに
しぶるとこが嫌いだ。「こんな家に生まれてこなければよかった」と、言うと
電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。

俺は母親が嫌いだ。とにかく嫌いだ。
そんな母親がこの間死んだ。毎日のように俺を心配してかけてくる電話が
ただただウザくて、俺は携帯の電源を切っていた。だから、通夜にも行けなかった。
死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋がらない俺を心配して体調を悪くした併発だった。

俺は母親が嫌いだ。自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。
こんな俺のために死んだ母親が嫌いだ。五十年近くの人生の半分を俺に費やしたとこが嫌いだ。
死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがっていたとこが嫌いだ。

俺が毎日2chに入り浸っているとも知らず、死ぬまで働いた母親が嫌いだ。
今日をもって、俺は2chを引退する。嫌いだった母親にしてあげれなかった
親孝行を今更だがしたい。受け止めれない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい


53: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:23:05.91 ID:MxH7/mRw0.net

火曜日に正社員の面接行ったのね。もうこれで20数社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車でしか行けないところだったんで、
母親が仕事を休んで付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たせて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
鼻くそほじりながら履歴書見て「職歴なし?あんたもう30だろ?」
「バイトなら経験あるっていったって職歴なしは職歴なしだろう?」
「うちでそんなの雇うわけないだろ?もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」

車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。

無言のままうどん屋に入ってカツ丼食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。

母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。

今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。


54: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:24:55.37 ID:MxH7/mRw0.net

そういえばふと考えるとさ。

俺の母親は自分の服や鞄は全く買わないんだ。化粧もしない。
昔は「女なんだから少しは気使えよ!」って思ったけどさ。
そうじゃないんだよな。
自分の物買うより家族の物を買ってたんだよな。
子供の服や文房具代や生活費や。

食事もそうだ。そういえば好きな食べ物なんて知らないんだ。
俺達(子供)が欲しがったら全部くれるんだ。
「いいのよ。全部食べなさい」って。

母親の好きな食べ物ってなんだろう。
明日聞いて買いに行こうと思う。


55: 名も無き被検体774号+@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:32:47.46 ID:F4CMmT0A0.net

見てるよ


56: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:36:54.30 ID:MxH7/mRw0.net

今日さ、友達の買物につきあってデパート行ったわけ。
遠方に住んでる両親に送るプレゼント選ぶとか言って夫婦茶碗とか見てんの。
ようやく決めて会計する時に、10日に着くように送ってくださいとか頼んでて。

で、10日ってその子の誕生日なんだけどさ。
なんで自分の誕生日なのに親宛でプレゼントとか贈ってんのw
と聞いたら友達が照れくさそうに笑って

『あ、これね、産んでくれてありがとうのプレゼント』

だってさ。
自分で稼げるようになってから毎年贈ってるらしい。
なんか家帰ってからじんわり涙でた。


57: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:37:41.85 ID:MxH7/mRw0.net

アレだな、大学から一人暮らし始めて、一年位経った頃。
ふと輪ゴムが必要になって、部屋にあるわけねーよなと、押入れに入れてる小タンス
の引き出し開けた時、輪ゴムの箱があったのよ。
恐らく引越しの時に、実家で使いかけの箱を持たせてくれたのだろう、
長い間使わなかったとしても痛まないように、サランラップで巻いてあった。
引越し当時、親が色々世話焼くのが鬱陶しくて、○○持ってく?と言われても
ことごとく必要になったら買うからイラネと跳ね除けていたのを思い出し、
一人暮らし1年目にして初めて泣いた夜になった。おかん、ありがとう


58: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:42:14.32 ID:MxH7/mRw0.net

夏休みで実家に帰省していた最後の日に母親が
「これ持っていきなさい」と、おにぎりを渡された。
すでにタオルや洗剤を、お土産?として持たされていた俺は、
「これ以上は、荷物が増えるから、こんなんいらねー」って断ったんだけど、
母親は「いいから、この位持っていけるでしょッ」と強引にカバンに詰め込みました。
それで、お互いにムッとして気まずいままに、俺は実家を出ました。
でも実際、住んでいる所へ戻る途中、お腹が空いたので、
そのおにぎりを食べたのですが、何年かぶりに食べた母親の大きなおにぎりは、
コンビニのおにぎりよりも断然に美味しかった。

母さん、ゴメンナサイ、アリガトウ。


59: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:43:00.32 ID:MxH7/mRw0.net

妹に「母の日に何か送らないの?」といわれた。
社会人になってはや数年。
母の日に何か贈るなんて、小学校の授業参観以来。
たまには送ってやるか、と思ってネットで華を配達できるサーヒスをみつけ、
カーネーションを送った。

数日後。
母からのメール「涙が出ました。花束とメッセージ、ありがとう」

たいしたことないって。
メッセージなんて、何種類か用意されているのを適当に選んだだけだから。

「忙しいでしょうに、そのこころづかいがうれしいです」

ネットで頼めるんだよ。5分もかからないよ。


「この花、押し花にして大事にするね」

そんなことせんでいいよ!来年もまた送ってやるからさ!


60: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:44:58.94 ID:MxH7/mRw0.net

私の部屋(生まれる前は応接室だった)にずっと母の本棚がある。

母が集めている推理小説とか過去にもらった本とかがたくさん入ってて、
私は特に本棚の中を開けてみたり触ったりもしなかった。

数年前、ちょっと捜し物をしていて母の本棚を探っていたら
「○○小学校」と書かれた母の母校の小学校の古い文集が
あるのが目に止まった。

好奇心だけで「どんなくだらないこと書いてたのかな~♪」って読んでみたら
他の子(母の同級生)は家族で旅行をして楽しかったとか、
遠足でみんなで遊んだ思い出とかを書いているのに対して、
母の作文だけタイトルが「おとうさんの入院」だった。

読むのをためらうタイトルだったけど読んでみると
「私のお父さんが入院しました」
から始まって小学生の子供が書いたとは思えないほどの
深刻な内容がそこに・・・
読み終わる頃には涙が止まりませんでした。

おじいちゃん(母の父)は病気で母が高校生の時に亡くなったんだけど、
とても苦労したんだなぁと思った。

私は父と仲が悪くケンカばかりしてて
母が「お父さんになんてこと言うの!お父さんを大切にしなさい」
と言うことの意味がその時やっとわかりました。

気づくのが遅かったかもしれないけど、
これからも両親を大切にしていきたいと思う。


61: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:47:02.32 ID:MxH7/mRw0.net

実家の両親に彼が結婚の申し込みをしに、挨拶に来た。
会話は和やかで結婚の話にも触れていたし、
両親も私と彼の結婚を祝福してくれていたが、彼は、
「お嬢さんと結婚させてください!」のようなセリフを言えないでいた。

彼は話を切り出すタイミングを失っている様子だった。
結局、彼は確信の言葉を口にせぬまま宴は終了した。
私は彼を送るために玄関に先に出た。
しばらくして、彼も玄関の方にやってきた。
彼は両親にペコリと頭を下げて私の実家を後にした。

私は彼を近くまで送っていった。
すると、彼がポツリと言った。
「お父さん、泣いていたよ・・・。」
私はどうして父が泣いていたのか彼に尋ねた。

「○○ちゃん(私)が、先に玄関に行ったでしょ。
その時、俺、お父さんに
『○○ちゃんを幸せにしますから』って言ったんだ。
そうしたら、お父さんは俺の手を握って、薄っすら涙を浮べながら、
『娘を宜しくお願いします』って言ってくれた。」
私はその話を聞いて、目頭が熱くなった。

その後、しばらくして私は彼と結婚した。
たまに実家に帰ると、父は殆どお酒が飲めないのに、
夫と酒を飲みたがった。

後で聞いた話だが、
父は親類に以前、「○○は嫁には出さん!」と語っていたらしい。
しかし、父は夫を本当の息子のようにとても可愛がってくれ、
夫をいつも誉めてくれた。

結婚3年目の今年、父が他界した。

夫は「お父さんにロクに親孝行をしてあげれなかったな・・・」と言った。
私も、父に親孝行らしい事を殆どしてあげれなかった。
でも父は、息子と一緒に酒を飲めることが出来て、
幸せだったのかな・・・と思うことが、慰めになっている。


62: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:49:46.94 ID:MxH7/mRw0.net

俺の家は貧乏だった。運動会の日も、授業参観の日さえも
オカンは働きに行っていた、そんな家だった。

そんな俺の15歳の誕生日、オカンが嬉しそうに俺にプレゼント
を渡してくれた。ミチコロンドンのトレーナーだった。
俺はありがとうと言いつつも、恥ずかしくて着られないな、
と内心思っていた。

その夜考えていた。差し歯を入れるお金もないオカン、
美容院に行くのは最高の贅沢、手はかさかさで、化粧なんて当然
していない。こんなトレーナー買うくらいなら他の事に使えよ・・・。
そんな事を考えながら、もう何年も見ていない昔のアルバムを
見てみたくなった。若い時のオカンが写っている。

えっ!俺は目を疑った。それはまるで別人だった。綺麗に化粧をし、
健康的な肌に白い歯を覗かせながら笑っている美人のオカンがいた。
俺は涙が止まらなくなった。俺を育てる為に女を捨てたオカン。
ミチコロンドンのトレーナーを腕に抱き、その夜は眠った記憶がある。

それから少しばかり時は流れ、俺は高校卒業後の進路を考えなければ
いけない時期になっていた。大学進学はとっくに諦めていた。
学校で三者面談が行われた時、オカンが先生に向かって言った。
大学に行かせるにはいくらお金が掛かるのですか?
俺は耳を疑った。びっくりしている俺を横目に、オカンは通帳を
先生に見せて、これで行けますか?と真っ直ぐな眼で先生を見つめた。

それから俺は死に物狂いで勉強し、大学に合格することができた。
郷里を離れる際、オカンが俺に真っ赤なマフラーを渡してくれた。
学費を稼ぎながらの大学の生活は苦しくもあったが、マフラーを
見ると元気が出た。

それから時は流れ、会計士になった俺は来年の春、結婚する。
そして生活を共にする。俺と最愛の妻と最愛の母とで。
なんとしても二人を守ってみせる。
色褪せたトレーナーとほつれたマフラーを目を前にして俺はそう誓った。
サンキュー、オカン。


63: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:50:49.09 ID:MxH7/mRw0.net

永久保存って書いたカセットがでてきたから、なんだと
思って聞いてみたら
赤ん坊の頃で訳のわからないことしゃべってる俺と、
両親の楽しそうな会話が入ってた

それ聞いてたら、なんか涙が止まらなくなった
いま両親が家庭内別居って状態だったり、
俺が両親の期待に添えなかった自分へ後悔とか
色々な気持ちが出てきて、涙が止まらん

父ちゃん母ちゃんこんな俺の世話をしてくれてありがとう


64: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:55:46.34 ID:MxH7/mRw0.net

俺が23歳の頃、就職1年目の冬、俺の誕生日の日のこと。

職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に
「今日は遅くなるよ。 ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、
父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」 と言う。

「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」
と俺が言うと、いつもは 温厚な父が、
「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」
とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。

家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、その父。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。

「なんでわざわざ帰らせたの!俺だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。

父は何か言ったと思うが、覚えていない。
母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。

俺は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。
仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、
「実は お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめん」とつぶやいた。

呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに
「○男に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。
何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。
夜が明ける頃には 涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。

4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。母にとっては最後だったのに、、、。


65: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:56:33.66 ID:MxH7/mRw0.net

親父が糞だったからいつもひもじい思いをしていた
一日の食事で一番豪華なのが給食で、
給食で残ったパンをほぼ毎日貰って帰っていた
持ち帰ったパンは翌日お袋がパートに持って行って昼飯にしてた

月末で金がなくなってくるとそのパンが晩飯になったりもした
煮込んで牛乳を入れて少し砂糖で味付けがしてあって
旨くもなんともないんだけど、金がないのが子供心にもわかっていたから
お母さん美味しいよ、って言いながら食べてた

夏休みや冬休みは給食がないから早く学校はじまれって思ってたよ
お袋が焼き立てパンの店でパンの耳を買ってきて
それを油で揚げてのばかり食べてた
砂糖をかけて食べるよりも塩をかけて食べるほうが食べやすかったな

新聞にパン粥のことが載っていたからお袋に
昔よく食べたよな、って言ったら
ごめんね、おまえ美味しい美味しいって言って食べてくれてたけど、
あんなの美味しいはずなかったよねえ、と泣かれた
おふくろ、俺そんなつもりで言ったんじゃないよ


66: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:57:23.68 ID:MxH7/mRw0.net

今日はカーチャンの誕生日。
事前に打ち合わせしてネーチャンはケーキ、
オレは花を買うことにしてた。

花屋に行って、
「母の誕生日に予算3千~4千円でお願いします」って
旨を伝えて暫くすると、花なんか興味ないオレにも伝わるほど、
本当に綺麗な花束が出来上がっていく。

そんなオレの視線に気付いたのか、店長さん
「3千円で造ってます」とにっこり。

ウソだろ?
その花さっきそこで値札見たら1本400円だったぞ? 
それなんかは500円だ?

すかさず店長
「親孝行ということでサービスしときました」+眩しい笑顔。
「それと…ハイ、メッセージカードとペン。お母さん喜びますよ」
有無を言わさず渡されてしまった。

へったくそな字で書いたさ「タンジョウビオメデトウ」ってな
今夜カーチャン喜んでくれるといいな・・・

んで持って帰って気付いたんだけど、
オレ「誕正日おめでとう」って書いちゃってる・・・
スゴイよ!ジョンイルだよ!将軍様生まれちゃったよ!

花束だけ渡します・・・


67: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 14:58:59.22 ID:MxH7/mRw0.net

ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと言っても聞かず、冷蔵庫に決まって
ビールを横にして冷やしていた。

酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、
ビールに関してだけこだわりを持っていたのかもしれない。
酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。

親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。
あっけないな、とは思ったが、何か時間が寸断されるような
感覚はなかった。

親戚が自宅にきて、これからのことを話し合っているときに、
ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。

横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて
思い出すべきことが多すぎて泣いた。


532 :就職戦線異状名無しさん :03/04/29 23:03

去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが
返事はこなかった。

その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。
私は泣きながら送信ボタンを押した。

「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」

私の一生の保護メールです。


68: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:00:04.07 ID:MxH7/mRw0.net

私の友人の婚約者の話です。

彼は幼い頃に母親を亡くし、父親と祖母と暮らしていました。
彼が17歳の時に、急性骨髄性白血病にかかってしまい、本人すら死を覚悟していましたが、骨髄移植のドナーが運良く見つかり、死のふちから生還しました。

そのときに1人でも多くの人を助けることができたらと医者になることを決意し、猛勉強の末に某国立医科大学を卒業、インターンを経て無事彼が骨髄移植を受けた病院に就職することができました。

その病院で私の友人、彼女もまた医師をしていますが、彼女と出会い、晴れて婚約をしました。彼の祖母が先日亡くなったので、しばらく沈んでいたようですが、日々忙しく働く中で、徐々に持ち直していたようです。


69: さるよけ頼む@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:01:09.23 ID:MxH7/mRw0.net

父が入院中の時の事

酸素マスクを着けなければいけない状況だったんだけど
少し元気になってくると、「家に帰る!」と言い出して
酸素マスクを外してベッドから起き上がろうとする。
で、母に「だめでしょ、お父さん、酸素マスク外したら
死んじゃうよ?大人しくして早く直して退院しようね」
と言われると、とりあえず大人しくなる。

でも30分ぐらいすると「家に帰る!」と、起き上がろうとする。
で、母が「だめでしょ、お父さん(ry

で、また30分ぐらいすると「家に(ry

そんなことを何回も繰り返して、母にたしなめられるたびに
(´・ω・`)な顔をしてた父に萌えてしまった。




・・・ってことを退院したらこのスレに書こうと思ってたのに
なんで死んじゃうんだよ。元気になったら一緒に
好きなカツ丼を食いに行こう、って約束したじゃないか。
父ちゃん・・・


70: さるよけ頼む@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:01:43.33 ID:MxH7/mRw0.net

ご近所に幼稚園の娘さんがいる家族が居る。

パパは車出勤で、娘さんは毎朝家の窓から
「パパー、いってらっしゃああああーい!!」と絶叫する。

そんで昨日かな? 
パパが車のエンジンをかけた時、娘さんが
「パパー! まってぇぇー!!」
と家から猛ダッシュで飛び出てきた。

「まってぇーーー!」って、
すっごい切羽詰った声だったので、何事かと思ったら

「パパー! ちゅうするのわすれたぁー!!
ちゅうするの、わすれたぁぁぁぁあああぁあーーーーーー!!!」
ご近所じゅうに響き渡った、ソウルフルなシャウト。

ご夫婦は顔から火が出る思いだっただろうけどw
めっさ和ませて頂きました。


71: さるよけ頼む@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:03:20.41 ID:MxH7/mRw0.net

自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、
夜中にふいに目が覚めると、
父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。

大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、
しかも父はとにかく強くてかっこいい!と信じていたので、
凄く吃驚して変に印象に残ってる。

その後、何度か確認する機会があったが、父がいつも
「夢でも見たんだろう」と言っていたので、
何しろ幼児の頃の記憶だし、自分もそう思うようになっていた。

が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。

当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、
朝は私が起き出す前に出勤。夜は就寝後に帰宅の日々。
父は私の寝顔をそっと覗き見るのが日課で、
このままでは娘に顔を忘れられてしまうと不安に思っていたらしい。

そんなある日、いつものように父が寝顔を眺めていると、
私は目を覚ましてしまった。

やばい、良く寝ていたのに、
ぐずってしまうかも知れない…父が焦っていると、
私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。

ろくに顔をあわせることもできず、
たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多い。

しかもこんな夜中に起こされて、
それでもこの子は自分の顔を見て喜んでくれるのか、
こんなふうに笑ってくれるのか、と思ったら、
愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。

それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、
どうしても本当のことが言えなかった。

嘘付いててスマン!と告白される結婚式前夜。

内心は萌えつつも、明日目が腫れたらど-してくれる!!
と私が切れたので、笑い話になったが、
父が涙を流していたあの記憶は、私にとって良い思い出になった。


72: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:13:40.67 ID:MxH7/mRw0.net

私は昔作家を目指してたほど自意識過剰な子供で
そのせいでとった音楽のテープがある
なんのことはない、音楽の教科書を全部歌ってみましたテープ
小三の時の事だ
母が付き添って歌ってくれた思い出のテープ

古いCDラジカセをくれた友人の前で久々に聞いてみた
勝ち気な私の声を導くような優しい、包み込むような母の声
今の私より1歳年上のはずだ
母に顔が似ていると言われる私だけど
ああ、声もそっくりなんだね……
今は私の声に聞こえる

あの頃はこんな風に使うとは思ってなかったよ、お母さん
お母さん、いろいろあったけど、私を愛してくれていたんだね。
テープの声はそう言っているよ、お母さん


73: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:14:36.15 ID:MxH7/mRw0.net

GW,
大学進学のため、
上京して一人暮らしをしている俺のアパートに母が来た。 

相変わらず口うるさく、イロイロ言うのがウザくて、
いる間中、小さい口げんか状態だった。

いよいよ帰る日、駅のホームで見送ることになって・・・

電車のドアが閉まろうとしてる時、
「あんたにイロイロ買ってやろうとヘソクリ持ってきたんよ。
でも使わんかった。 お母さん、電車に乗ったら
もうお金使うことないし、これ、持っていきな。」

と、財布をポンと投げてくれた。

俺が返答を考えている間にドアが閉まり、
ゆっくりと電車が動き始めた。

笑顔で手を振る母・・・

財布には万札より千円札の方が多い計9万円


74: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:15:42.35 ID:MxH7/mRw0.net

多発性硬化症という難病に侵されてから早10年が経ちますね。

生死の狭間を彷徨うこともありましたが、今日まで生きてくれて何よりです。
あなたの意識がない時、父は嗚咽にまみれて泣いていましたよ。
父があんなに取り乱したのは初めて見ました。

私はあなたに似たのか涙一滴流れませんでしたよ。

あなたは、私がいじめにあっていた幼い頃、
「自分が正しいと思うなら理不尽なことで泣く必要はない。」と言いましたよね?
私は必ず帰って来ると信じていました。あなたの意志を継いで泣きませんでした。

あなたは障がいを負って正気を取り戻して以来、以前のあなたではなくなった。
「一人息子の母がこんなでは将来、貴方の嫁に見せる姿がない。」と弱音を吐き、
父の前で涙していますね。

その涙は理不尽な涙だ。
そんな理由で、あなたが泣く必要はない。

もう少ししたら、将来の嫁を連れて行くよ。
どこかあなたに似ている女性さ。小柄だが頑固で美人だぞ。

あなたが泣くのはその時でいい。

十数年ぶりに俺も泣くだろう。

23年間世話になったね。本当に感謝しています。
これからも末長くよろしく。

こんなの面と向かって言えないんだよ。つまらんとこが似たね。

この想いは、知らない誰かに聞いてもらうとするよ。


75: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:16:35.73 ID:MxH7/mRw0.net

戦後間もない頃の話、昭和30年頃

専業農家で育ったカーチャンが、
小学生だった頃まで、牛を飼ってたそうだ

その牛に朝夕、畑の草を食わせに行くのが
カーチャンの仕事の一つで、毎日散歩のようにやってた

小さい頃に家にやってきたその牛は、ひどくなついて、
何も言わずともカーチャンについてくるようになって
本当に仲良しになった

しかし、数年経ってカーチャンが中学生になったある日・・・

カーチャンが学校から帰ると、家の前にトラックがとまってた
カーチャンがバーチャンに「これ、なんのくるま?」と聞くと
「・・・牛、連れて行くんよ」
カーチャンはそれで全てを悟って、泣き叫んで暴れて嫌がった

それを見た牛はポロポロと大粒の涙をこぼしだしたんだ

それで牛は、自分がどうなるかを悟ったかのように、
動かず暴れたりせず、立ったまま泣くだけだった

牛はトラックに乗せられてポロポロ涙流したまま
カーチャンをずっと見てた

そこでバーチャンが
「あぁ、あれはあんたを妹のように思ってたんねぇ」

カーチャンが正気に戻ったとき、
業者もバーチャンもカーチャンも牛もみんな泣いてたそうな

業者が言うにはそこまでの牛と娘はめったにいないとか
そういう経験を経たカーチャンは、今でも動物を愛するバーチャンになってる

人間は他者の死の上で生きてることを忘れちゃいけない、
とカーチャンが教えてくれた時、言われた話


77: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:18:41.20 ID:MxH7/mRw0.net

泣けはしないけど、こんな話をしてみる。さっきの話なんだけど。


最近、母が編み物をし始めた。
私が何を作ってるのかと聞くと、「マフラー」と答えた。
母はオレンジ色の毛糸で編んでいたので、
「流石にオレンジは派手すぎるだろ;」と思い
「この色は変だよ!しかもこの毛糸編むと固いじゃん、痛いって」と言うと
「うるさいわねぇ。私が家で使うからいいの!!」とキレられた。

それから私は、母がそのマフラーを編んでるのを見るたびに
「やっぱ変だって」なんていうのを言ってた。

でさっきリビングに降りてみると、母の机の上には、
また違う編みかけのマフラーが置いてあった。
今度は銀色に近いグレーの毛糸だった。

私は「なんでまた同じのつくってんの?」と思い、
丁度リビングで仕事をしていた父に、
「お母さんまた同じの作ってんの?もういいじゃん」と言うと、
「お前が前に酷いこと言ったからだろ」と言われた。

話が全然つかめなくて父に聞き直すと
実はあのオレンジのマフラーは私のために作ってくれていたらしい。
そう言えば私は最近母に「喉が痛い」と言っていた。

私が「変だ」と言ったから、
わざわざまた新しい毛糸を買いに行って作り直して………

私はこの時初めて母にとても酷いことをしていたんだと知った。

母を傷つけたんだと。
私は少し泣いた。

明日の朝になったら、母に謝ろうと思う。


78: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:19:42.98 ID:MxH7/mRw0.net

私は小さいころから指を鳴らすのが癖になっていた。

いつも母親が「母さんみたいな指になるからやめなさい!」

と言って自分の手を見せる。

母親の指は関節が太くて、第一関節がまっすぐに伸びない小さな手。

こんな手になるからダメだというけれど、私は指を鳴らすのをやめなかった。

だって母さんの手が大好きだったから、

きれいな手じゃないけれど大好きな母さんの手だったから。

別に関節が太くなろうがなんだろうが、好きな手だから別に構わなかった。

けど、なんか怒られてるわけだし、その度ごめんなさいと言って、

思ってることは黙ってた。

母は高校の時に死んでしまったけど、

母さんの手が大好きだから関節太くなっても気にしなかったんだよって

手紙を書いて棺桶に入れた。

伝わってるといいな。

今でも指は鳴らす癖は治ってない。


80: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:24:19.21 ID:MxH7/mRw0.net

俺は兄貴と母さんと3人暮らしだった。
父さん死んでから貧乏になったけど、母さんは明るく振る舞っていた。
母さんはパート、兄貴は学校終わると、週に5日車修理屋のバイト。
俺はそんな2人の帰りを待ってるだけだった。

俺は4歳からバイオリンを習ってた。
苦しい家計の中、兄貴のバイト代から月謝を出し続けてた。
安いアパートに引越してから、さらなる貧乏生活が始った。
夕飯は白飯と半額になったお惣菜の日々・・・。
前の家の様にバイオリンの練習も出来ない環境だった。

だからなるべく学校の音楽室で練習してた。


407 :( ´∀`)ノ7777さん:2009/11/30(月) 10:20:26 ID:vc8J5ppH0

あるクリスマスの日、頑張ってる兄貴と母さんに
プレゼントしたくて万引きをした。
スーパーの入口で売ってる花を母さんに。
ユニクロの靴下を兄貴に。

包装してないからすぐにバレて兄貴は「返してこい」と。
母さんは「ありがとう、一緒返しに行こう」と。
俺は母さんとスーパーへ行った。店の店長に母さんは何度も謝った。
店長は「いえいえ、この花はもう要りませんから。どうぞ。」
と言って俺にくれた。

次にユニクロへ行って、母さんが靴下のお金を払い、
俺の分の靴下も買ってくれた。
帰り際に母さんが
「ごめんね、あんた達の靴下破れてたのに買うの遅くなって」
「でも、もう万引きはしないでくれる?」


408 :( ´∀`)ノ7777さん:2009/11/30(月) 10:21:46 ID:vc8J5ppH0

------あれから6年------

俺が20歳になった時だった。
母さんがパート先で倒れた。過労のせいだった。

母さんが死んじゃう前に少しだけ話しをした。

母さん「おぼえてる?」
俺「何を?」
母さん「あんた、店で1番立派な花を万引きしたろ?」
俺「うん」
母さん「母さん今でもはっきり覚えてるよ」
そんな会話だった。

いつも明るかった母さん。
毎年クリスマスが近づくとせつなくなる・・・。

今年はあの時より立派な花を母さんに贈ります。

ありがとう


82: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:28:54.06 ID:MxH7/mRw0.net

うちの親父は、軽い知的障害を持っていた。
早くから職人として修行を積んできたので稼ぎはあったが、
普段の生活がトロい。

お袋は、そんな親父と幼い俺を捨て家を出た。

親父は俺を溺愛して一生懸命に育ててくれた。
親父の怒った顔は見たことがない。
小さい頃は大好きだったけど、思春期が始まった頃からは
親父のトロさが嫌で嫌で、堪らなくなった。

中学2年のある日、弁当を持参する日に親父が弁当を作ってくれた。
みんなパンとか買っていくので俺もそのつもりだったけど、
起きたら親父が嬉しそうに弁当作ってた。
正直鬱陶しかった。

しかもできあがった弁当を、小一のときの俺に見せたのと同じ笑顔で
「ほら、お弁当だよ」と見せた。
俺は朝飯を食いながら「ああ」と気のない返事をして、
醤油を取ろうと手を伸ばしたら、
その手がぶつかって弁当が床に落ちてしまった。
わざとぶつけたのかも知れないが、よくは覚えていない。

親父は子供のように
「○○のためにつくったお弁当が落ちちゃった!」とパニックになった。
俺はその様子にうんざりして、
無言で家の財布から500円を抜いて
「これでパン買うから!」とそのまま家を出た。

その後、大人になって社会に出て、結婚して子供ができて。
時間が経つに連れて親父の優しさ、ありがたさ、
そして思春期のときに取ったあのことへの後ろめたさが大きくなっていった。
あの弁当をどれだけ苦労して、どれだけの想いで作ってくれたのか、
そしてどれだけ親父を傷つけてしまったのか。

俺に子供ができたとき、親父は赤ん坊を抱きながら
何度も俺の名前と間違えて呼んでいた。

そんな親父があっけなくガンで死んだ。
死に際、意識を取り戻して俺の顔を見ると、俺の手を取って
「ごめんな、ごめんな」と謝ってばかりいる。
絶対に言って欲しくないと思っていたら、
案の定、親父は「お弁当ごめんな」と言った。

俺は涙と鼻水で息が詰まりそうになった。
横では女房が自分のことのように鼻を垂らして泣いていた。
それを見て、こいつは一生大事にしようと思った。


83: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:31:50.21 ID:MxH7/mRw0.net

母が認知症になった。
施設には入れずに、自宅で介護を続けてきた。
施設の見学には行ったが、施設のことが詳しく分かれば分かるほど、
母をそこに入れることが不憫に思えた。

3年後。懸命な介護にもかかわらず、母の認知症は進んだ。
その頃には私も介護に疲れ、少しのことでイラつくようになっていた。

ある日、家の庭に野良猫がやってきた。
母は猫を指差し、「あれは何だい?」と訪ねてきた。
私は「あれは猫だよ。」と、少し冷たく答えた。

母は1分もしないうちに私に訪ねた。「あれは何だい?」
「母さん。さっき言っただろ?あれは猫だよ。」私は少しイライラしていた。
母はまたすぐに言った。「ねぇ、あれは何?」
私は感情にまかせて母を怒鳴った。
「母さん!何度も言ってるだろ!あれは猫だよ!!分からないの!!」
母は恐れるような眼で私を見つめ、それからは黙っていた。

その後すぐに、私は母を施設に入れることにした。

母の荷物をまとめるために部屋を整理していると、古いノートが何冊も出てきた。
パラパラとめくって中身を見ると、それは母の日記で、
私を産んでから数年間、毎日のように書かれたものであった。

私はハッとした。
それを読んでも母を施設に入れる気持ちは変わらないと思ったが、
なんだか申し訳ない気持ちになって、なんとなく読み始めていた。

内容はありふれたもので、
『私が初めて〇〇をした。』というようなことがほとんどであった。

私は大した感動をすることもなく1冊目を読み終えると、
2冊目の日記を読み始めた。


6月3日。
もうすぐ4歳になる息子と公園に行くと、
1羽のハクセキレイが目の前に飛んできた。
息子は「あれは何て言う鳥?」と、私に何回も何回も訊いてきた。
私はその度に「あれはセキレイって言うんだよ。」と、言って息子を抱きしめた。
何度も訊いてくれることが、私をこんなに穏やかにしてくれるなんて。
この子が生まれてきてくれてよかった。
ありがとう。


読み終わった私の目には涙があふれ、
母のもとに駆け寄り、やさしく抱きしめながら泣きじゃくった。
母は、そんな私をただやさしく撫でていた。


84: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:32:47.47 ID:MxH7/mRw0.net

進学のために実家を離れて一人暮らしを始めた頃のこと。

新しい生活の何もかもが上手くいかなくて、少しまいってた時期があった。
頼れる人どころか友達すらまだほとんどいなくて、気晴らしといったら
実家に用もなく電話することくらい。
といっても、家族に向かって弱音吐くのは 恥ずかしいから当り障りのない
話ばっかりしてたんだけど。

でもある日、母親と電話で話してて、ついポロっとね、きてしまった。
あー、もう実家帰りたいなー、って感じで。
で、うわヤバい!とか思いつつ必死に平静を装ってたんだけど、微妙に
感づかれたらしくて「泣いてんの?」って言われた。
当然私は「泣いてないよ、やだなぁ」って笑って誤魔化して、その時は
それ以上つっこまれることもなく電話を切ったんだけど、その数日後に
母親から手紙が一通届いた。

「あなたがそちらで泣いていても母は行ってあげることができません。
だからあなたが泣いていると辛いです。あまり泣かないで」

文章がクサいよ、母!って思いながら思わず泣いてしまった。
ただ、この人の娘で良かった、って本当に思った。
私はまだまだ頼りなくて弱っちいけど、いつかちゃんと恩返ししたい。
だからお願いします。その日まで元気でいてください、お母さん。


85: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:34:45.70 ID:MxH7/mRw0.net

姉の結婚式のとき。
姉と一緒に写真を撮っていたら、
不意に、メールが届いた。

件名「ほしい」
内容「ちちも しやしん」

親族控え室を見回すと、
何事もないかのように祖父らと談笑する父の姿が。
でも、時折チラチラとこちらを見る父。

「お父さんも一緒に撮ろうよ!」と声をかけたら、
「ん?写真は苦手なんだけどなー・・・
お前たちがそう言うなら仕方ないなー・・・」

と言いながら寄ってきた。

そのときの写真を、携帯の待ちうけサイズにしてあげたら
「俺は親ばかじゃないから、こんなのいらん!」
と言ってたくせに、

後日
「しやしん まちうけ ほうほう おしえて」
と、メールが来た。


86: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:38:37.84 ID:MxH7/mRw0.net

死んだ親父はよく食いに連れてってくれたな

親父は食うのが早くて、自分が食い終わると、
怒ったような顔でオレが食べるのをじっと見てた。
「早く食え」って言ってるみたいでちょっとヤだった。

こないだ初めて子供とラーメン屋に言ったら
美味しかったらしくガツガツ食うわ、
あせって水飲むし、ちっこい手で丼つかんで
スープ飲んでハァハァいってる
可愛かった

そしたら息子がちょっと嫌そうに
「ねぇなんでじっと見てるん?怒ってる?」

あ..

オヤジ・・・


87: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:40:29.55 ID:MxH7/mRw0.net

子供の時はお母さんをただのケチだと思ってた。

高校生になった私はウザいとしか思わなかった。

一人暮らしを始めて、三食の食事や掃除に洗濯、なんて恵まれてたかわかった。

私が挑戦したい事はとてもお金が掛かる事だった。

お母さんは少しだけ悩んですぐに私を応援してくれた。

お母さんは成人した私と姉のおさがりを「お母さんはこれで十分」と、

着ていた。化粧品も親戚からもらう試供品がほとんど。

でもいつも私を助けてくれるお母さん。

お母さんは自分のものは買わないでバカな私を助けてばかり。


お母さんお母さんお母さんどうして私をそこまで信じてくれるんですか。

私はもう24才なのにあなたにまだ甘えたいです。

お母さんお母さん本当にいつもありがとう。

私が強気なのはあなたがいてくれるからです。

どうか神様、私のお母さんをまだまだ元気に生かして下さい。

どうか私に時間を下さい。

大好きなお母さん、お願いだからもう少し待ってて下さい。


88: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:41:47.68 ID:MxH7/mRw0.net

先日、一人でテレビを見つつ、酒の肴に鍋を食べていた。
自分なりに、見切りのアラとか、そこそこ野菜も贅沢した上で満足して
ハフハフ食べていたとき、なんか思い出したことがあった。

あれは、俺が中学一年の頃、親父が亡くなって半月ほど経った日だった。
それまでバタバタ非日常の日々を送っていた母と俺、そして弟がやっと
落ち着いてコタツを囲んで鍋を突付いてた日のことだった。

確かあの日も、近所のスーパーで魚のアラが安くて、母が買ってきて
鍋にしよう、と言ったんだと思う。
親父が飲み残していた酒を「もう飲まないからいいよね」と母が
どぼどぼ鍋に注いで、ああ勿体無いなぁと話したのを覚えている。

ぐつぐつ煮立っている音とは別に、弟がいきなり泣き出した。
ほんとうに突然泣き出したんだ。俺はそれをすごく女々しいと思い
「お前が泣いたらお母さんが泣いちゃうだろ。泣くな!」と強がって
言ったけど、そうしたら、母も泣いちゃったんだよね。
つられて俺も泣いた。わんわん、三人で泣きながら鍋を食べた。

ふと思い出したことだけど、あれは家族の情景というにはあまりに過酷で
切ない思い出だった。今の俺には、その切ない思い出を共有できる人が
居ない。それもとても寂しい。


89: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:45:17.91 ID:MxH7/mRw0.net

母親が肺がんで入院してたとき。
いつも「学校でなんかあった?」ってきくのよ。
ほんとに何にもないから、毎回「ない」って。
しかも中学だったからそういうの恥ずかしくて。
で、いよいよ危険な状態になって夜呼び出されたとき。
母親のそういう姿見てもうなにしていいかわかんなかった。

そしたら

「今日学校でなんかあった?」

ってまた。

空気よんでよ。なんで必死な顔してそんな事きくんだよ。
苦しいんじゃないのかよ。。って思って。
何にも答えられなくて、結局そのすぐ後、鎮静剤?打って死んだ。
ああ。。何でもいいから言えば良かった。。。いまさら思います。


90: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:46:59.19 ID:MxH7/mRw0.net

ガキの頃にオヤジと川に釣りに行った。
鮎釣りという特殊な釣りで常に川の流れの中に
腰の辺りまで水に浸かって行う釣りなんだけど、
ガキだった俺は何度も流されそうになった。
その度にオヤジの腕が伸びてきてオレをガッチリ
掴んで助けてくれた。時にはオレのベルトの辺りを
強引に掴んで助けてくれた。

それから20年近く経った今年の初夏に
オヤジが体調を崩して倒れた。

幸いにも1週間ほどで退院できた。
退院してしばらく経ってオヤジが鮎釣りに行くと
いうので、心配した母がオレに付いていくように言った。
オレも年老いて病み上がりのオヤジが心配だし
付いていくことにした。

そして当日、午前中は順調に釣りを楽しんでいたん
だけど午後になってポイントを変更して少し流れが
キツイところに移った。オレは歩き回ってポイントを
探しているうちにかなり流れが激しく、立っているのが
やっと、という感じのところに入ってしまった。

体力も限界まできたので流れの緩いところに戻ろうと
した瞬間、足を滑らせてこけてしまった。
それを見ていたオヤジが流れを横切ってオレのところまで
速攻できてくれて無言でニッコリ笑って手を伸ばした。
そしてオレの腕を掴むと流れの中からオレを引き上げてくれた。
ガキの頃と同じでその腕はゴツゴツしていて力強く逞しかった。

オヤジまた来年も一緒に行こう!


91: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:50:27.84 ID:MxH7/mRw0.net

スーパーで買い物中の母子の会話(子供、小一くらいの男の子)

子「ねぇお母さん、おれが死んだら悲しい?」
母「えぇーっ?!何?ソレどこで覚えたの?そんなこと!そういうの、簡単に言っちゃいけないんだよ!」
子「人間はいつ死ぬかわからないんだよー」
母「何ソレ、何ソレ、何ソレー!え?誰かになんか言われたの?」
子「ちがうよーおれが死んだらお母さんどうするのかなー?ってー」
母「お母さんどうもしないよ。なぜなら、きみが死ぬ時お母さんはもういないからね!」
子「えーっ?!?!なんでなんで?お母さんなんでいなくなんの?!どっか行くの?おれは?おれは?おれは?」
母「お母さんより先に死んだら、ビンタされるって決まってるんだよ。知らないの?」
子「誰に?!なんでビンタされんの?!」
母「それは永遠の謎なんだよねー。まあ、お母さんのお母さんも、おおばあちゃんもまだまだ生きるから、きみの番はまだまだ先だよ」
子「お母さんもまだまだ?」
母「当たり前よ」
子「あーじゃあ、おれビンタされたくないから長生きする!」
母「いい心がけだね!んじゃ明日まで生き延びるために今日のごはんを考えよう」


母さん(´;ω;`)


92: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:51:47.31 ID:MxH7/mRw0.net

今年の六月、父の誕生日にアンバサダーホテルを予約して、
父と母と私の三人でランドに行きました。

誕生日当日、アフター6で先に父と母がランドに入り
私はアンバにチェックインしに行き、
それからランドに入り夜のパレードを見ました。

父は、携帯のカメラを使い写真を撮りまくってました。

次の日はシェフミッキーで朝食を取り、
ランドにまた行きました。

途中で雨が降ってきたので母と私は
『父のことだから帰ると言いだすんじゃないの?』
と話をしたんですけど、父が
『次何乗る?・お昼は何処で食べるんだ?』とか
子供のように無邪気な笑顔で言ってる姿を見て
私は思わず泣きそうになってしまいました…
母の顔を見ると母も目に涙を浮かべていました。

阪神淡路大震災の年に、
父は被災地の後処理で左手を失う事故に合い、
それ以来、仕事以外で外に出ることもなく
定年を迎えて六年たちましたが、
あまり外に出ることも少なかったので
今回ディズニーに連れていきました。

最後に帰るとき父が
『また来よう!今度は晴れてるときに来て
ビックサンダーマウンテンに乗りたい』と言ってくれました。

父にプレゼントのつもりでディズニーに行ったのに
逆に父の最高の笑顔をプレゼントされてしまいました

また一緒に行こうねと母と計画してます
長文ならびに読みにくい文章ですみませんm(__)m


93: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/05(月) 15:52:45.74 ID:MxH7/mRw0.net

これで 父母の話は終わりです!

次は、兄弟の話です!



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コメント一覧

※ 1. まとめブログリーダー  2015年01月06日 01:49 ID:4RjsIijg0 ※このコメントに返信する※
(e/d)

この手の話って急に親が逝くよな


※ 2. ななし  2015年01月06日 04:28 ID:PnNI.TsG0 ※このコメントに返信する※
(e/d)

親って急にいくものだよ
当たり前だって思ってたらいつか後悔するよ


※ 3. 私は名無しさん  2015年01月06日 08:00 ID:z.qqinGs0 ※このコメントに返信する※
(e/d)

読んだことのあるのが多かったが、
3,24,37,64みたいな、どうにも救いようのない話は正直止めてほしい


※ 4. ハゲ  2015年01月06日 08:54 ID:XUPXP9PqO ※このコメントに返信する※
(e/d)

泣く気満々でスレ開いたのになぁ
出たのはあくびの涙のみ


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